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荘田平五郎 しょうだへいごろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

荘田平五郎
しょうだへいごろう

[生]弘化4(1847).10.1. 臼杵
[没]1912.4.30. 東京
明治の実業家,三菱財閥の経営者。臼杵藩士で儒者の父をもち,少年期に洋学を修め,維新後慶應義塾に学び福沢諭吉にその才を愛された。 1873年岩崎弥太郎の三菱に入り,彼の姪と結婚,弥太郎の死後は2代目の弥之助のもとで三菱合資 (1893設立) の筆頭管事としてその経営をほとんど掌握した。

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百科事典マイペディアの解説

荘田平五郎【しょうだへいごろう】

実業家。豊後(ぶんご)国臼杵(うすき)藩士の出身。慶応義塾に学び,福沢諭吉に愛されて母校の教壇に立ったが,1875年招かれて三菱商会に入り,のち三菱の大番頭となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

荘田平五郎 しょうだ-へいごろう

1847-1922 明治-大正時代の実業家。
弘化(こうか)4年10月1日生まれ。慶応義塾でまなぶ。明治8年三菱にはいり,13年管事となって東京海上,明治生命などの創立のほか,三菱の銀行・海運業務の基礎づくりにつとめる。長崎造船所の拡張,陸軍練兵場の買収による東京丸の内街の建設などもすすめた。大正11年4月30日死去。76歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

荘田平五郎

没年:大正11.4.30(1922)
生年:弘化4.10.1(1847.11.8)
明治時代の実業家。三菱財閥の経営者で,福沢諭吉系財界人の指導的存在。豊後国(大分県)臼杵藩士荘田雅太郎,セツの長男。臼杵生まれ。維新前後に藩より英学修業のため江戸,鹿児島に派遣されたのち,明治3(1870)年慶応義塾に入学,2年後には教師の資格を得た。大阪分校設立の任に当たるなど,福沢諭吉の信頼厚く,塾長格的存在であった。8年2月三菱蒸汽船会社社長岩崎弥太郎から幹部人材として嘱望され,三菱に転じた。三菱会社(8年9月郵便汽船三菱会社と改称)では,翻訳係,複式簿記の導入,会社規則(定款)制定等の重要な職務を担当した。岩崎社長から寄せられた期待の大きさは,岩崎の姪田鶴と結婚した事情からもうかがわれる。12年には本社管事として飛躍する三菱の首脳部の一角を形成するに至った。他方,福沢およびその門下生たちと協力し,福沢の盟友である岩崎の出資を得て,東京海上,明治生命,山陽鉄道などの創立,経営に当たった。 18年,岩崎社長が死去してその弟弥之助があとを継ぎ,三菱会社の海運事業を日本郵船に譲渡して,炭鉱,造船など陸の事業へと展開すると,弥之助社長のために大いに貢献した。先輩格の本社管事川田小一郎が22年に日銀総裁に就任したこともあって,弥太郎死後の三菱は弥之助社長,荘田管事のコンビを軸に動いたといえる。臼杵藩士が設立し,経営難に陥っていた第百十九国立銀行を三菱の傘下に吸収するよう斡旋したこと(三菱銀行の前身),21年からの1年間の海外視察中に製鉄業とビル街建設を提案したこと,製鉄業が無理と知るや造船業の拡充を主張,自ら造船所長を兼任して現地で長崎造船所の近代化工事を指揮したことなど,功績は大きい。41年に岩崎弥之助が死ぬと,2年後管事を退き,三菱系企業の役員として余生を送った。<参考文献>宿利重一『荘田平五郎

(森川英正)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しょうだへいごろう【荘田平五郎】

1847‐1922(弘化4‐大正11)
明治期の三菱財閥の経営者。豊後国臼杵藩の下級武士の長男として臼杵で生まれる。慶応義塾に学んだ後,1875年に三菱商会に入社し,三菱会社社則や郵便汽船三菱会社簿記法を起草し,80年には早くも最高幹部の一等級管事に任ぜられた。同郷の者が経営していた第百十九,第百四十九の両国立銀行が85年に破綻すると,これを引き継ぐように進言し,三菱の銀行経営の端緒をつくった。彼の意見によって,三菱は89年に丸の内の原野を陸軍から買ってビル街を建設した。

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