岩沼要害跡(読み)いわぬまようがいあと

日本歴史地名大系 「岩沼要害跡」の解説

岩沼要害跡
いわぬまようがいあと

[現在地名]岩沼市栄町一丁目

岩沼市街の中央西側、岩沼駅西側の丘陵部にあった。岩沼城、一国一城令ののちは要害岩沼館ともよばれ、さき城の別称もある。この別称は城中に鵜の形をした岩があったことによるとも、岩沼七崎(稲荷崎・鼻輪崎・観音崎・鵜ヶ崎・松崎・堂ヶ崎・鷲崎)の一つ鵜ヶ崎にちなむともいわれる。崎は河岸段丘の岬角をなす丘をさすという。

古くは武隈たけくま館、阿武隈館といわれたと伝える。「岩沼郷安永風土記」には源重之により築かれたとあり、「嚢塵埃捨録」によれば天暦七年(九五三)多田満仲が築き、天徳年間(九五七―九六一)橘道貞、安和年間(九六八―九七〇)藤原元良、天延年間(九七三―九七六)源孝義、康平年間(一〇五八―六五)安倍貞任、寛治年間(一〇八七―九四)藤原清衡、天正年間(一五七三―九二)北目左門兵衛助清が在城したと記される。しかし確実な史料のうえで当城が確認できるのは当地方が伊達氏支配下に入ってからで、天正年間に泉田安芸守重光が八千石で当城に配された(伊達世臣家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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