源重之(読み)ミナモトノシゲユキ

デジタル大辞泉 「源重之」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐しげゆき【源重之】

[?~1000ころ]平安中期の歌人三十六歌仙一人清和天皇の皇子貞元親王の孫。相模権守さがみのごんのかみ。旅の歌を得意とし、また冷泉天皇の東宮時代に奉った百首は、現存する最古百首歌として知られる。家集「重之集」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「源重之」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐しげゆき【源重之】

  1. 平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。清和天皇の皇子貞元親王の孫。冷泉天皇の春宮坊の帯刀長となる。後に歌人として知られるようになり、帯刀先生として奉った百首は、最古の百首歌として現存。晩年辺境国司歴任藤原実方陸奥赴任に随行し、その地に没する。家集に「重之集」がある。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源重之」の意味・わかりやすい解説

源重之
みなもとのしげゆき
(?―1000ころ)

平安中期の歌人。清和(せいわ)天皇の皇孫で兼信(かねのぶ)の子。父兼信が陸奥(むつ)に土着したため、伯父兼忠に養われた。三十六歌仙の1人。冷泉(れいぜい)天皇の東宮時代に帯刀先生(たてわきせんじょう)となり、そのおりわが国最古の百首歌の一つ『重之百首』を詠進した。相模権守(さがみのごんのかみ)、肥後守筑前(ちくぜん)守などを歴任した受領(ずりょう)層歌人であり、また藤原佐理(すけまさ)や藤原実方(さねかた)を頼って筑紫(つくし)や陸奥(むつ)に下向するなど旅をよくした。そのため羇旅(きりょ)歌人的色彩が濃く、詠歌にも歌枕(うたまくら)が頻出する。同時に身の不遇を嘆く歌も散見され、交友歌人も源順(したごう)、曽禰好忠(そねのよしただ)、平兼盛(かねもり)ら沈淪(ちんりん)の歌人が多い。『百人一首』の「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふ頃(ころ)かな」の作者で、家集に『重之集』がある。

[川村晃生]


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改訂新版 世界大百科事典 「源重之」の意味・わかりやすい解説

源重之 (みなもとのしげゆき)

平安中期の歌人。生没年不詳。清和天皇の曾孫。父は従五位下兼信。帯刀長(たちはきのおさ)在任中に東宮に献じた百首歌は整った形式の創始期の作として知られる。その後967年(康保4)に従五位下右近将監,さらに左馬助,相模権守等に任ぜられたが,995年(長徳1)ころ陸奥に下り,同地で没した。歌集《重之集》に陸奥をはじめ旅の歌が多く,百人一首に〈風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな〉(《詞花集》巻七)が入る。三十六歌仙の一人。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源重之」の意味・わかりやすい解説

源重之
みなもとのしげゆき

[生]?
[没]長保2(1000)頃
平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。清和天皇の曾孫で,兼信の子。伯父兼忠の義子となった。従五位下相模権守。後半生は不遇で,九州や奥州を渡り歩き,陸奥で没した。旅の歌人で,地方の名所を詠んだ歌が目立つ。東宮時代の冷泉天皇に奉った百首歌は現存最古のものの一つ。家集『重之集』。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に 65首余入集。その子女にも『重之の子の僧の集』や『重之女集』を残した歌人がいる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源重之」の解説

源重之 みなもとの-しげゆき

?-1000ごろ 平安時代中期の官吏,歌人。
源兼信の子で,伯父兼忠の養子。三十六歌仙のひとりで,日本最古の百首歌のひとつ「重之百首」の作者。勅撰集には「拾遺和歌集」以下に約70首みえる。不遇をなげく歌がおおい。長徳元年(995)藤原実方にしたがって陸奥(むつ)に赴任。長保2年ごろ,その地で死去。家集に「重之集」。
【格言など】風をいたみ岩打つ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな(「小倉百人一首」)

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