会津攻め

山川 日本史小辞典 改訂新版 「会津攻め」の解説

会津攻め
あいづぜめ

1600年(慶長5)8月,徳川家康による陸奥国会津若松城主上杉景勝の討伐戦。1598年1月,蒲生(がもう)秀行の宇都宮転封をうけ若松城に入封した景勝は,99年8月以降,神指(こうざし)城の築造や道橋普請など領国整備を進めた。これに対して嫌疑を抱いた家康は上洛を督促したが,景勝が応じなかったため討伐を決意。6月16日に大坂を出発した家康は,7月24日下野国小山(おやま)に着陣したが,石田三成の挙兵を聞いて宇都宮に子の結城秀康をおき,伊達・最上氏らに上杉氏の牽制を命じて兵を返した。会津攻めの目的は,家康の石田三成らに対する軍事的挑発といわれる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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