岩田きぬ(読み)イワタ キヌ

20世紀日本人名事典 「岩田きぬ」の解説

岩田 きぬ
イワタ キヌ

明治〜昭和期の社会事業家 大阪聖徳館院母。



生年
明治2年9月13日(1869年)

没年
昭和22(1947)年6月6日

出生地
大阪府池田町(現・池田市)

旧姓(旧名)
松浦

経歴
明治23年貿易商の岩田民次郎と結婚。24年夫の事業拡大に伴って札幌に移るが、火災にあって全財産を失った。のち大阪に帰ってうどん屋を開き、再起に成功。生活にゆとりが出来ると、夫婦で慈善事業関心を持つようになり、35年大阪市南区に大阪養老院を設立。次いで、大正2年には院舎を旧秋野坊の太子堂に移し、大阪聖徳館(現在の聖徳会大阪老人ホーム)に改称した。昭和2年に院舎を放火されて存続の危機に瀕するが、夫婦の熱意が通じ、間もなく再建された。はじめは困難だった経営も、貧困救済法の施行で補助金が出るようになり、次第に安定。それでも晩年に至るまで率先して働き、社会福祉に献身した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩田きぬ」の解説

岩田きぬ いわた-きぬ

1869-1947 明治-昭和時代の社会事業家。
明治2年9月13日生まれ。貿易商の岩田民次郎と結婚するが,札幌にひらいた商店火事にあい一時は全財産をうしなう。慈善事業に関心をもち,明治35年大阪養老院を設立,大正2年大阪聖徳館(現聖徳会大阪老人ホーム)と改称して社会福祉につくした。昭和22年6月6日死去。79歳。大阪出身。旧姓は松浦。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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