岩関神社
いわぜきじんじや
[現在地名]二ッ井町下野家後
二ッ井町の中心街の裏地に、人家に囲まれて立つ。もとは字山根に山崎乃神社・愛宕神社・神明社とともにあったが、明治四三年(一九一〇)に合祀して現社地に移った。しかし合祀は名目のみで三社堂はそのまま字山根に残った(二ッ井町史)。天正元年(一五七三)の草創で、祭神は天照大神・加具土之命など(「神社明細帳」秋田県庁蔵)。旧村社。
「秋田風土記」に「堰神の三社は政景の建立なり、政景死して後里人敬し八幡宮を造営して祭る」とあり、梅津政景が社殿を造営し、その後安永七年(一七七八)に薄井・比井野両村が八幡宮(郷中文書では権現堂)を造営して政景を祀った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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