20世紀日本人名事典 「島内八郎」の解説 島内 八郎シマウチ ハチロウ 昭和期の歌人 長崎原爆戦災誌編さん委員;日本歌人クラブ長崎県委員。 生年明治30(1897)年2月16日 没年昭和58(1983)年10月16日 出生地佐賀市 主な受賞名〔年〕長崎市政功労表彰 経歴大正4年長崎県立長崎図書館出納手を振り出しに、長崎市立博物館学芸員として昭和54年まで勤務。この間、長崎県・長崎市の文化財保護審議会委員、長崎市原爆資料協議会副会長、長崎国際文化協会副会長などを務めた。長崎県の代表的歌人で、大正8年中村三郎門下となり、「とねりこ」「香蘭」「中央線」に入会し、戦後は被爆者として原爆にちなんだ短歌を作った。「平和は長崎から」の作詞者としても知られる。著書に歌集「靄(もや)」「あさもや」、随筆「秋日和」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島内八郎」の解説 島内八郎 しまうち-はちろう 1897-1983 昭和時代の歌人。明治30年2月16日生まれ。長崎高商を中退後,県立長崎図書館司書をへて,長崎市立博物館学芸員となる。昭和10年北原白秋の「多磨(たま)」長崎支部を創立。晩年まで後進の指導にあたった。昭和58年10月16日死去。86歳。佐賀県出身。歌集に「靄」,随筆集に「島内八郎めもあーる」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by