島崎徳兵衛屋敷跡(読み)しまざきとくべえやしきあと

日本歴史地名大系 「島崎徳兵衛屋敷跡」の解説

島崎徳兵衛屋敷跡
しまざきとくべえやしきあと

[現在地名]内灘町向粟崎二丁目

加賀藩豪商島崎氏の屋敷跡。同氏は向粟崎むかいあわがさき村に住み、代々徳兵衛を名乗った。文久元年(一八六一)佐々木泉玄筆の蓮湖両岸真景之図(喜楽家蔵)によれば、屋敷は機具はたぐ橋下流、向粟崎村南端に描かれている。先祖は能美のみしま(現小松市)の出身で、長崎網を携えて向粟崎村に移住し、それを漁師に貸したり、資金を融通したりして財をなし、九代徳兵衛の時には一一艘の渡海船を所有し、六艘は加賀藩・越中富山藩の命で宮腰みやのこし(現金沢市)伏木ふしき(現富山県高岡市)より米穀を運ぶのに用い、ほかは松前まつまえ(現北海道松前町)との往復に使用したという(河北郡誌)。史料的に確認できるところでは、享和二年(一八〇二)三月に加賀藩が領内の富家に調達銀の上納を命じた時に粟崎村(現金沢市)木屋(木谷)藤右衛門の三〇〇貫目に次ぐ一四〇貫目を上納しており、この時期までに藩内でも第二位の地位を占めていたことがわかる(「郡方旧記」加越能文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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