伊豆諸島(読み)イズショトウ

デジタル大辞泉 「伊豆諸島」の意味・読み・例文・類語

いず‐しょとう〔いづシヨタウ〕【伊豆諸島】

相模湾の南方にほぼ南北に連なる火山島群。伊豆七島のほか、さらに南の青ヶ島鳥島などを含み、東京都に属する。

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精選版 日本国語大辞典 「伊豆諸島」の意味・読み・例文・類語

いず‐しょとういづショタウ【伊豆諸島】

  1. 伊豆半島の南東方、太平洋に散在する火山列島。伊豆七島と、さらに南方の青ケ島、鳥島その他の属島を含む。東京都に属する。富士箱根伊豆国立公園の一部。

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日本歴史地名大系 「伊豆諸島」の解説

伊豆諸島
いずしよとう

東京湾の入口、浦賀うらが水道から太平洋上へ、伊豆大島を先頭にあおヶ島までほぼ南北二〇〇キロ以上にわたって、列状に連なる島嶼群である。島々の人口(平成一三年三月調)は北から伊豆大島(約九千四〇〇人)(約三〇〇人)にい島・式根しきね(二島で約三千一〇〇人)神津こうづ(約二千二〇〇人)・三宅島(約三千七〇〇人)御蔵みくら(約二八〇人)・八丈島(約九千二〇〇人)八丈小島(無人)・青ヶ島(約二〇〇人)。さらに南にはとり(青ヶ島の南約二三〇キロ)が並び、富士火山帯の噴火活動によって誕生した火山列島である。富士火山帯は玄武岩質系統の大島・利島・三宅島・御蔵島・八丈島のラインと、流紋岩質系統の新島・式根島・神津島のラインとが、大島と三宅島の間でほぼ四五度の角度で交差し、相互に異なった形成要因がみられる。各島の標高は大島七五八メートル、利島五〇七・五メートル、新島四三二メートル、式根島一〇六メートル、神津島五七四・二メートル、三宅島八一三・九メートル、御蔵島八五〇・九メートル、八丈島八五四・三メートル、青ヶ島四二三メートルなどである。諸島は近海に二〇〇〇メートル級の海溝が並列するので、海底から見上げるなら三〇〇〇メートル余の大火山列島の威容が浮び上る。玄武岩と流紋岩の違いを共存させながら、各島それぞれの地形上・景観上の違いをみせている。その特徴を分類すると、標高の高い、今も噴火を続ける三宅島の山や、近年大噴火を起した大島三原みはら山のような活火山型、次に新島や八丈島にみられる二つの山からなる二頭型火山島、利島・御蔵島・青ヶ島の三島は周囲が切立った断崖絶壁で、面積の割に標高が高く、船着場に苦労する火山島である。また新島・式根島・神津島は高度も比較的低く、台地状の火山島なので海岸線が複雑に入組んでいる。植生は三宅島・御蔵島と八丈島との間を北東流する黒瀬川くろせがわとよばれる黒潮の本流によって分断されて、北限・南限植物の顕著な様相がみられる。

おもな九島には人が住み、温暖な気候を利用し、観葉植物や花卉の栽培などの園芸農業、酪農・近海漁業などが営まれている。江戸時代は徳川幕府の直轄地として、島奉行や伊豆韮山代官の支配下にあり、流刑地としての役割を果していた。その孤島的性格は、今日でも島ごとに多少の風俗・習慣・生活感情などの相違を残している。現在は富士箱根伊豆国立公園の一部として、海洋・火山・温泉・島嶼・習俗・産業などさまざまな魅力を有し、四季それぞれに訪れる人も多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊豆諸島」の意味・わかりやすい解説

伊豆諸島 (いずしょとう)

東京都に属し大島支庁(大島町,利島(としま)村,新島村,神津島(こうづしま)村),三宅支庁(三宅村,御蔵島(みくらじま)村),八丈支庁(八丈町,青ヶ島村)管轄下の島嶼(とうしよ)群をいう。かつては伊豆諸島以南の地も含めて漠然と豆南(ずなん)諸島と呼ばれた。相模湾口から南へ大島利島新島式根島神津島三宅島御蔵島八丈島,八丈小島,青ヶ島の順に,ほぼ南北に連なり,さらに南にはベヨネース列岩鳥島など多数の無人島や岩礁が点在し,居住のみられる島は八丈小島,ベヨネース列岩,鳥島を除く9島である。このうち式根島,青ヶ島を除いた7島は伊豆七島と呼ばれるが,この称は伊豆諸島全域の俗称としても使われる。全島が新旧の火山から成り立ち,御蔵島のような古い火山島は浸食が進行し,島としては珍しく水の豊富なところであるが,一般に新しい火山島では水にめぐまれず,近年まで天水に依存していたところが多い。また伊豆諸島は黒潮を横断する位置にあるため,温暖湿潤な海洋性気候を示し,亜熱帯性植物の生育もみられるが,台風の進路にあたっているため,その被害を受けることが多い。

 近世には江戸幕府の直轄地(天領)とされ,また流罪地としても知られたが,行政上は伊豆半島とつながりが強く,経済的には江戸との関係が深かった。明治以降,行政上の所管は1869年(明治2)に相模府,70年に韮山(にらやま)県,71年に足柄県,76年には静岡県と移り変わったが,78年東京府に編入され,東京都に引き継がれて現在に至る。生活活動からみた各島と東京とのつながりは,大島や八丈島のように直接結合しているもの,利島や青ヶ島のように本島(大島,八丈島)を介してつながりをもっている離島的性格の強いもの,式根島のように新島という主島に行政的に含められているいわゆる属島など,複雑である。新島,式根島,神津島などは主として漁業に依存してきたが,利島(ツバキ),御蔵島(ツゲ),青ヶ島(木炭)など多分に山村的な色彩の濃厚な島があり,八丈島のように農業に依存し,養鶏が重視されたところもある。1955年に大島,八丈島への航空路が開かれ,64年に富士箱根伊豆国立公園に編入されて,大島のほかにも新島,八丈島など新しい観光の島がふえてきた。
執筆者:

諸島に人が住みはじめたのは約5000年以前と思われるが,歴史時代に入ると諸島が伊豆国付きであることは《日本書紀》に明記され,さらに675年(天武4)罪人を遠流したむね,また724年(神亀1)には配流地と定められた記録があり,早くから流人の島としての性格を中央から与えられていたことがわかる。840年(承和7)神津島が大噴火したのを機会に,朝廷は諸島の祭神の叙位を改め,八丈島優婆夷(うばい)社,三宅島氐良社などを式内社に列して,この面からの諸島支配を進めた。中世の事象としては,新島を中心に源為朝伝説が各島に残っているのが特徴的である。室町期には上杉氏の領国下にあり,守護代寺尾氏,大石氏らの支配を受けた。《八丈年代記》には奥山宗林一族が神職と島代官を兼帯していたとあり,祭政一致の島政が布かれていたものとみられる。

 近世に入ると全島が天領となったが,代官の常駐はなく,利島を除いては神主が最高の統治者で,名主,年寄ら地役人を従えていた。18世紀後期には神職と村政を分離しようとする試みがなされたが,事実上名主・神主兼帯者が多く,祭政一致の影響は長く残った。幕府は諸島の耕地が少なく,農業生産も台風などの影響で不安定であることから,年貢として大島,三宅島,新島,神津島から塩,御蔵島,利島,八丈島から絹紬,大島の一部から薪を徴収した。その生産は強制的であったが,名産品となった黄八丈(絹紬)を除いては生産が上がらず,元禄年間(1688-1704)には大部分が代金納となり,各島は江戸向け特産物の商品生産に変わった。その主要なものは黄八丈のほかツバキ油,ツゲ材,テングサなどであり,1796年(寛政8)江戸鉄炮洲に設けられた島方会所が独占的に取り扱って商品化された。また近世における流人には,関ヶ原の戦に敗れた宇喜多秀家(八丈島)をはじめジュリアおたあ(神津島),生島新五郎(三宅島),英(はなぶさ)一蝶(御蔵島),飛驒高山甚兵衛(新島),井上正鉄(まさかね)(三宅島),近藤富蔵(八丈島)や日蓮宗不受不施派僧侶(各島)ら,島民の生活や文化に大きな影響を与えた人々が多い。1753年(宝暦3)の調査では八丈島135人,新島50人など総数209人にのぼっている。明治維新後,諸島は流刑地の負担から解放された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊豆諸島」の意味・わかりやすい解説

伊豆諸島
いずしょとう

東京都に属する火山列島。伊豆半島の南東部からほぼ南北方向に太平洋上に並ぶ島嶼(とうしょ)。主島の伊豆七島(大島、利島(としま)、新島(にいじま)、神津島(こうづしま)、三宅島(みやけじま)、御蔵島(みくらじま)、八丈島(はちじょうじま))のほか、さらに南の青ヶ島、ベヨネース列岩、須美寿島(すみすじま)、鳥島(とりしま)、孀婦岩(そうふいわ)や、属島の鵜渡根(うどね)島、地内(じない)島、式根島(しきねじま)、祗苗(ただなえ)島、恩馳(おんばせ)島、大野原島、藺灘波(いなんば)島、八丈小島などを含む。総面積297平方キロメートル、人口約3万。大島、三宅、八丈の3支庁、2町6村に分かれている。

[菊池万雄・諏訪 彰]

自然

地形、地質から2系統に分けられ、大島、利島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、鳥島は黒っぽい玄武岩~安山岩からなる複式の成層火山。新島、式根島、神津島は白っぽい流紋岩である。1952~1953年(昭和27~28)に海底噴火で出没した新火山島の明神礁(みょうじんしょう)は石英安山岩。大島三原山、新島、神津島、三宅島、八丈西山、青ヶ島、明神礁、須美寿島、鳥島は活火山。各島の最高標高は、大島758メートル、利島508メートル、式根島109メートル、神津島572メートル、三宅島814メートル、御蔵島851メートル、八丈島854メートル、青ヶ島423メートルであるが、近海が2000メートルを超える深海であるから、基底の海底からの比高は3000~4000メートル級の火山といえる。海岸線は、新島、式根島、神津島は台地状火山地形のため複雑であるが、利島、御蔵島、青ヶ島は周囲が断崖(だんがい)絶壁で諸島中もっとも船着きの悪い島である。近海を黒潮が流れるため、気候は高温多雨の亜熱帯性気候で、植生にも特色がみられる。ことに利島にはツバキ、御蔵島にはクワやツゲの大木が多い。

[菊池万雄・諏訪 彰]

沿革・産業

これらの島々は古くは伊豆国に属したが、近世には江戸幕府の直轄地となり、明治に入り所管が転々と変わったが、1876年(明治9)静岡県編入を経て、1878年東京府に編入された。また、中世から近世には伊豆七島は流刑地となり、近世には多くの流罪人が送り込まれ、島の社会に影響を与えた。現在、東京、熱海(あたみ)、下田(しもだ)から船便のほか、大島、八丈島へは羽田空港、大島、新島、三宅島、神津島へは調布飛行場からの航空便もあるが、一般には交通に恵まれていない。それが産業に影響し、古くから農林水産依存のみのところへ、離島という隔絶性が、つねに生産物の商品化を阻み困難なものにしてきた。大島の酪農、椿油(つばきあぶら)、新島の近世以来の伝統産業のくさや、八丈の名を生んだ古くは八丈絹とよばれた黄八丈(きはちじょう)など特産はあるが、生計を維持するほどのものには成長していない。しかし最近この地域は、火山景観の変化と、豊富な植物相、黒潮の海に臨む海岸美などの自然美に加えて、中世以来の歴史の跡が至る所にみられるなど、観光資源として価値が認められて、1964年(昭和39)富士箱根伊豆国立公園に編入され、数多くの観光客が訪れる所となっている。

[菊池万雄・諏訪 彰]

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百科事典マイペディア 「伊豆諸島」の意味・わかりやすい解説

伊豆諸島【いずしょとう】

大島利島新島神津島三宅島御蔵島八丈島の伊豆七島とその属島,さらに南方の青ヶ島ベヨネース列岩鳥島まで,ほぼ南北に並び富士火山帯を構成する諸島。大島,三宅島,明神礁,鳥島など近年活動的な火山が多い。東京都に属し,伊豆七島は富士箱根伊豆国立公園に含まれる。
→関連項目式根島十国峠豆南諸島孀婦岩東京[都]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊豆諸島」の意味・わかりやすい解説

伊豆諸島
いずしょとう

東京都の南,富士火山帯に属する火山島群。東京都に属し,大島,三宅,八丈,小笠原の各支庁に分れる。南北約 50kmに点在。伊豆七島 (大島,利島,新島,神津島,三宅島,御蔵島,八丈島) と式根島青ヶ島鳥島のほか,ごく小さい島々や岩礁も含まれる。神津島,新島,式根島の3島は流紋岩系,御蔵島は安山岩系,大島,三宅島,八丈島,利島などは玄武岩系。黒潮の本流が八丈島と御蔵島の間を平均して流れ,全島が海洋性の亜熱帯気候下にあり,常緑暖帯林が発達。伊豆七島および式根島は富士箱根伊豆国立公園に属する。

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世界大百科事典(旧版)内の伊豆諸島の言及

【子守】より

…つまり子守は概して貧家出身の娘が多く,したがっていやしめられる傾向もあり,その辛い境遇は哀調を帯びた子守歌にこめられている。しかし伊豆諸島のように,貧富の別なく,一定年齢の娘が他家の子守を行う慣習をもつ地域もあった。その場合,子守が一種の通過儀礼としての意義を有していたのである。…

【島問屋】より

…江戸中期まで江戸で伊豆諸島の産物の販売を委託された荷受問屋。江戸時代に伊豆諸島からは生魚,干魚,鰹節,サザエ,アワビなどの海産物,まき,ツゲ材,シイの実,ヤシャ(ハンノキ),ツバキの実などの林産物,ツバキ油,織物などの工産物が江戸へ送られていた。…

※「伊豆諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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