粟崎村(読み)あわがさきむら

日本歴史地名大系 「粟崎村」の解説

粟崎村
あわがさきむら

[現在地名]金沢市粟崎町・粟崎町一―六丁目・みなと三丁目

河北かほく潟から流れ出る大野おおの川の河口右岸に位置し、東対岸は北間きたま村、西は日本海に面する。古くは青崎・阿尾が崎と記された。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には橋粟崎村とみえ(三箇国高物成帳)、元禄一五年(一七〇二)の国絵図作成時に粟崎村と改められた(改作所旧記)。天正一四年(一五八六)前田利家は河北郡黒津舟くろつぶね権現(現内灘町)再興するため、当村のうち二町歩を寄進し、その再興の協力を命じている(同年正月二二日「前田利家印判状写」黒津舟神社文書など)正保郷帳では高一七六石余、田方一〇町九反余・畑方七反余。寛文一〇年の村御印では高一八六石、免七ツ一歩で、外海引網役七八匁、外海船櫂役五四六匁五分(うち一三三匁五分出来)・猟船櫂役三三二匁五分(うち七二匁五分出来)無量寺むりようじ村領内浦役一五匁、葭役二三匁(出来)・六歩口銭五匁六分(出来)の小物成があった。同年間の家高数二〇(浦方引)であった(高免付給人帳)

安永八年(一七七九)三石、天保九年(一八三八)に六石の手上高があり、村高一九五石になった。小物成は外海船櫂役九八〇目・猟船櫂役一五匁となり、葭役は天保七年に退転、六歩口銭は文政六年(一八二三)に諸魚地払御冥加銀と改名され、産物方役所へ上納するようになったが、天保八年から上納しなくなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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