日本歴史地名大系 「粟崎村」の解説
粟崎村
あわがさきむら
安永八年(一七七九)に三石、天保九年(一八三八)に六石の手上高があり、村高一九五石になった。小物成は外海船櫂役九八〇目・猟船櫂役一五匁となり、葭役は天保七年に退転、六歩口銭は文政六年(一八二三)に諸魚地払御冥加銀と改名され、産物方役所へ上納するようになったが、天保八年から上納しなくなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
安永八年(一七七九)に三石、天保九年(一八三八)に六石の手上高があり、村高一九五石になった。小物成は外海船櫂役九八〇目・猟船櫂役一五匁となり、葭役は天保七年に退転、六歩口銭は文政六年(一八二三)に諸魚地払御冥加銀と改名され、産物方役所へ上納するようになったが、天保八年から上納しなくなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...