島川文八郎(読み)しまかわ ぶんぱちろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島川文八郎」の解説

島川文八郎 しまかわ-ぶんぱちろう

1864-1921 明治-大正時代軍人
元治(げんじ)元年3月10日生まれ。陸軍砲兵射撃学校教官となり,ベルギー,フランス留学。明治27年東京砲兵工廠(こうしょう)板橋火薬製造所長になり,のち三十一年式速射砲を製作して無煙火薬応用案出。兵器局長などをへて技術本部長。大正8年陸軍大将。大正10年7月16日死去。58歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。陸軍士官学校卒。

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朝日日本歴史人物事典 「島川文八郎」の解説

島川文八郎

没年:大正10.7.16(1921)
生年:元治1.3.10(1864.4.15)
明治期の陸軍軍人。津藩士島川宗政の8男。無煙火薬を発明。明治27年東京砲兵工廠板橋火薬製造所長。日露戦争(1904~05)では野戦砲兵連隊長として奮戦,豪胆さを誇った。戦後,兵器局長,技術本部長を歴任。大正8(1919)年大将に進む。

(小池聖一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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