島村俊明(読み)しまむら・しゅんめい

朝日日本歴史人物事典 「島村俊明」の解説

島村俊明

没年明治29.12.14(1896)
生年:安政2.11.10(1855.12.18)
幕末明治期の彫刻家。江戸浅草の宮彫師俊準の次男。本名は唐四郎。すでに16歳のころ,両国回向院の欄間十六羅漢を彫るなど,木彫作家としても優れた技術を持っていたが,のちに牙彫に転じ,明治14(1881)年,第2回内国勧業博覧会に牙彫「曾我兄弟復讐夜撃」を出品して妙技2等賞を受賞。その後も主に歴史上の人物を主題とした作品を制作して好評を博し,明治の牙彫全盛期の一翼を担った。代表作は牙彫「藤原鎌足像」(東京国立博物館蔵)など。

(小松大秀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島村俊明」の解説

島村俊明 しまむら-しゅんめい

1855-1896 明治時代の彫刻家。
安政2年11月10日生まれ。家は代々の宮彫師。16歳のとき東京両国回向(えこう)院の欄間に十六羅漢を彫刻し,評判となる。18歳で家業をつぐ。牙彫(げちょう)にすぐれ,内国勧業博覧会などに出品して受賞した。明治29年12月14日死去。42歳。江戸出身。本名は唐四郎。代表作に牙彫「藤原鎌足像」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の島村俊明の言及

【明治・大正時代美術】より

…彼らは文明開化の欧化熱や,廃仏毀釈(きしやく)の中で神社仏閣の需要がなくなり,また大名の保護も失われて危機に陥った。ただ精緻な象牙彫刻(牙彫(げちよう))は貿易品として迎えられて活路を見いだし,石川光明(1852‐1913),旭玉山(1848‐1923),島村俊明(しゆんめい)(1853‐96)のような名人が出る。 一方,工部美術学校の彫刻教師としてV.ラグーザが1875年に迎えられ,本格的な洋風彫塑を初めて伝える。…

※「島村俊明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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