島津領衆中私領石高并用夫等書留(藤井本「要用集抄」)
しまづりようしゆうぢゆうしりようこくだかならびにいぶとうかきとめ
写本 入来町藤井家
解説 もとは庶流入来院家伝来文書で、のち藤井家が譲り受けたもの。原本の成立時期は「享保元申年改」などの記事から享保内検以前の享保年間と推定され、藤井本は享保一六年の写である。記事の大半は正徳三年頃の鹿児島藩の諸外城(郷)や私領および鹿児島藩全体の実勢を知ることのできる統計資料によって占められる。鹿児島藩の同種の史料としては最も早い時期のものである。外城・私領の掲載順序や記載項目など編輯基準は、文政年間や安政年間に成立した「要用集」の巻五に収められた諸郷郡分地頭附并郷士人躰持高之事と同じである。ただし「要用集」に比べ一部項目の記述にやや簡略なものがある。
活字本 近世入来文書
島津領衆中私領石高并用夫等書留(藤井本「要用集抄」)
しまづりようしゆうちゆうしりようこくだかならびにいぶとうかきとめ
成立 享保期
分類 記録
原本 藤井重寿家
解説 庶流入来院家から伝来したものと考えられるが、詳細は不明。内容は嘉永五年の「要用集」巻一の六、巻二の七、巻五の六五、巻六の六六、巻六の七〇と編集基準が同じである。したがって少なくとも享保期以降編集され、データの改訂が行われたものと考えられる。藩政の運営に参考となる項目を集めて網羅的に編集されたのではないかと考えられるが、当史料に収められているデータは正徳三年頃の状況を示すものと考えられる。
活字本 「近世入来文書」
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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