島田一良(読み)しまだいちろう

改訂新版 世界大百科事典 「島田一良」の意味・わかりやすい解説

島田一良 (しまだいちろう)
生没年:1848-78(嘉永1-明治11)

大久保利通襲撃の首謀者。金沢藩士。藩の洋式兵術練習所壮猶館に学び,戊辰戦争で北越を転戦し,功を認められて徒士より陸軍大尉にまで進級。維新後,西郷隆盛に心服し征韓論決裂とともに辞職し,陸義猶らと金沢に忠告社を創立して西南戦争に呼応しようとしたが果たさず,1878年5月14日長連豪らと斬奸状を携え,内務卿大久保利通を東京紀尾井坂で襲撃(紀尾井坂の変),自首したが7月27日斬罪に処せられた。
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朝日日本歴史人物事典 「島田一良」の解説

島田一良

没年:明治11.7.27(1878)
生年嘉永1(1848)
大久保利通の暗殺者。加賀(金沢)藩の下級藩士出身。藩校壮猶館で西洋流の砲術,操練を学び,砲術教師を勤めた。戊辰戦争で加賀藩は官軍につく。一良も北越に出征し戦功あり,士分に昇進,藩軍士官となるが,廃藩置県(1871)で解職。上京して仏式兵学を学ぶ間に同郷の陸義猶,長連豪と親交し薩派の西郷隆盛,桐野利秋らの政見共鳴,征韓論政変以後,政府批判の行動をとり金沢に同志を募り反政府蜂起の機会を待機したが,西南戦争(1877)には合流の機を失った。戦後,政府の巨頭内務卿大久保利通の暗殺を計画,明治11(1878)年5月14日,長らと赤坂紀尾井坂に内務卿を襲撃し惨殺。斬刑に処せられた。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田一良」の解説

島田一良 しまだ-いちろう

1848-1878 幕末-明治時代の武士,士族
嘉永(かえい)元年生まれ。加賀金沢藩士。戊辰(ぼしん)戦争に従軍,兵制改革で藩軍大尉となる。廃藩後,金沢で同志をあつめ,西南戦争に呼応しようとしたが失敗。明治11年5月14日東京紀尾井坂で同志5名とともに大久保利通を刺殺(紀尾井坂の変)。同年7月27日処刑された。31歳。名は一郎とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の島田一良の言及

【大久保利通】より

…幕末,明治初期の政治家。西郷隆盛,木戸孝允と並んで〈明治維新の三傑〉といわれる。薩摩藩士大久保利世の長男に出生。若年,開国後の緊迫した世情をうけて,薩摩藩尊王攘夷グループのリーダーとなり,1859年(安政6),大老井伊直弼(いいなおすけ)襲撃を計画したが未遂,しかし,これをきっかけに藩政実力者の島津久光の知遇を得て側近に抜擢(ばつてき)され,尊攘論から公武合体論に転向した。62年(文久2),久光の公武合体・幕政改革の運動に参画,一橋慶喜を将軍後見職に,松平慶永を政事総裁職につけるのに成功し,その名を広く天下に知られるようになった。…

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