コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

島田一良 しまだ いちろう

3件 の用語解説(島田一良の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島田一良 しまだ-いちろう

1848-1878 幕末-明治時代の武士,士族。
嘉永(かえい)元年生まれ。加賀金沢藩士。戊辰(ぼしん)戦争に従軍,兵制改革で藩軍大尉となる。廃藩後,金沢で同志をあつめ,西南戦争に呼応しようとしたが失敗。明治11年5月14日東京紀尾井坂で同志5名とともに大久保利通を刺殺(紀尾井坂の変)。同年7月27日処刑された。31歳。名は一郎とも。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

島田一良

没年:明治11.7.27(1878)
生年:嘉永1(1848)
大久保利通の暗殺者。加賀(金沢)藩の下級藩士出身。藩校壮猶館で西洋流の砲術,操練を学び,砲術教師を勤めた。戊辰戦争で加賀藩は官軍につく。一良も北越に出征し戦功あり,士分に昇進,藩軍士官となるが,廃藩置県(1871)で解職。上京して仏式兵学を学ぶ間に同郷の陸義猶,長連豪と親交し薩派の西郷隆盛,桐野利秋らの政見に共鳴,征韓論政変以後,政府批判の行動をとり金沢に同志を募り反政府蜂起の機会を待機したが,西南戦争(1877)には合流の機を失った。戦後,政府の巨頭内務卿大久保利通の暗殺を計画,明治11(1878)年5月14日,長らと赤坂紀尾井坂に内務卿を襲撃し惨殺。斬刑に処せられた。

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

しまだいちろう【島田一良】

1848‐78(嘉永1‐明治11)
大久保利通襲撃の首謀者。金沢藩士。藩の洋式兵術練習所壮猶館に学び,戊辰戦争で北越を転戦し,功を認められて徒士より陸軍大尉にまで進級。維新後,西郷隆盛に心服し征韓論決裂とともに辞職し,陸義猶らと金沢に忠告社を創立して西南戦争に呼応しようとしたが果たさず,1878年5月14日長連豪らと斬奸状を携え,内務卿大久保利通を東京紀尾井坂で襲撃(紀尾井坂の変),自首したが7月27日斬罪に処せられた。【後藤 靖

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の島田一良の言及

【大久保利通】より

…幕末,明治初期の政治家。西郷隆盛,木戸孝允と並んで〈明治維新の三傑〉といわれる。薩摩藩士大久保利世の長男に出生。若年,開国後の緊迫した世情をうけて,薩摩藩尊王攘夷グループのリーダーとなり,1859年(安政6),大老井伊直弼(いいなおすけ)襲撃を計画したが未遂,しかし,これをきっかけに藩政実力者の島津久光の知遇を得て側近に抜擢(ばつてき)され,尊攘論から公武合体論に転向した。62年(文久2),久光の公武合体・幕政改革の運動に参画,一橋慶喜を将軍後見職に,松平慶永を政事総裁職につけるのに成功し,その名を広く天下に知られるようになった。…

※「島田一良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

島田一良の関連キーワード紀尾井坂クルドの暗殺者最後の暗殺者ヴァチカンからの暗殺者大久保利謙大久保利賢大久保利武長連豪橋爪武松田克之

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone