改訂新版 世界大百科事典 「徒士」の意味・わかりやすい解説
徒士 (かち)
江戸時代の武士の一身分,また武家の職制。武士身分としての徒士は,徒士侍とも称され,将軍・大名,大身の武士の家中にみられる,騎乗を許されない徒歩の軽格の武士をいう。騎乗を許された侍とともに士分として扱われ,足軽・中間(ちゆうげん)の軽輩とは区別されていた。しかし,一口に士分とはいっても徒士と侍との間には格式の上で大きなへだたりがあった。侍身分のものは御目見(おめみえ)以上の格とされて,主君に拝謁を許されたのに対し,徒士身分のものは御目見以下の格とされて,御目見を許されなかった。また足軽身分から徒士身分への昇格は比較的容易であったが,徒士身分から侍身分への昇格はきわめてまれなことであり,俸禄にしても侍は知行取の格とされ,徒士は蔵米取の格とされた。幕府では旗本は御目見以上の格であり,侍,御家人は御目見以下の格で徒士に相当した。ところで,徒士は小禄であったため,経済的には幕初から窮乏し,竹細工や傘張り,植木や金魚などを売るといった,各種の内職をいとなんで生活を維持する有様であった。御家人の間では,つのる窮乏にたえきれず,その身分を株として売買することもおこなわれた(御家人株)。武家の職制としての徒士は,もと走衆ともいった。将軍・大名,大身の武士の家中において,徒歩の軽格の士の務めた役職であり,おもに主君の身辺警固にあたった。幕府には徒士組があり,本丸15組,西丸5組を定数とした。各組には徒士頭1人(若年寄支配,役高1000石,布衣,躑躅(つつじ)間詰),徒士組頭2人(頭支配,役高150俵,御目見以下,上下役,躑躅間詰,抱席),徒士28人(役高70俵5人扶持,御目見以下,羽織袴役,抱席)があった。その職掌は,戦時には大番,書院番,小姓組,小十人組などとともに将軍の旗本に備え,平時には将軍の出行に供奉し,ふだんは玄関,中の口などに詰めていた。総じて徒士組は将軍の身辺警固,すなわち親衛隊という性格を備えていたのである。徒士は他の役職に比較して昇格の機会も多かったから,その株は禄高の割には高値に売買されたという。
執筆者:北原 章男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報