島田町
しまだちよう
[現在地名]江東区木場二丁目
深川築地二四ヵ町の一。深川島田町とも称した。四方を川に囲まれ、西は宮川町・三拾三間堂町、東は木場町、北は油堀を隔て長門山口藩松平(毛利)家町並屋敷(鶴歩町)、南は入船町・御先鉄炮組頭金田式部下屋敷。文政町方書上によれば、元禄一四年(一七〇一)明地となっていた土地を、村田屋伝兵衛・紀伊国屋彦兵衛が幕府に願出て買請けて町屋とし、同一六年町名を島田町とする。正徳三年(一七一三)より町奉行支配。町内総間数は京間七二間余・田舎間八六間余。西の方三方角は南北が南表京間七二間余・東裏幅同七二間余(ただし菅沼大膳下屋敷門道を除く)、東西は裏行が京間二〇間。
島田町
しまだまち
[現在地名]金沢市本町二丁目・昭和町・島田町
東の田丸町の通りより続き、通りは町内で南北に分れ、さらに幾本もの小路よりなる。両側町。北は武家地(のちの玉井町)、南は柳町、西は武家地と柳町に接する。延宝町絵図によると当町域は地子地と島田勘兵衛などの武家地よりなる。元禄九年(一六九六)の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)に柳町に続いて「島田勘兵衛上地町」とあるのに該当し、町名もこれにちなむ(金沢古蹟志)。
島田町
しまだまち
[現在地名]中区丸の内二丁目・錦二丁目
長島町の南、田町の北にあり、杉の町筋と伝馬町筋との間の二丁をいう。慶長一六年(一六一一)夏、清須をはじめ他国や在辺からも移って、元和年間(一六一五―二四)頃、ようやく家並がそろった。したがって正確には清須越しの町とはいえない(尾張城南陌名由緒)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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