日本大百科全書(ニッポニカ) 「崇元寺」の意味・わかりやすい解説
崇元寺
そうげんじ
沖縄県那覇市泊(とまり)にあった臨済(りんざい)宗の寺。霊徳(れいとく)山と号した。創建は尚巴志(しょうはし)王(1372―1439)の時代とも、尚円(しょうえん)王(1415―76)の時代とも、また尚真(しょうしん)王(1465―1526)の時代ともいわれる。尚清(しょうせい)王(1497―1555)の1527年(大永7)に寺観が整備された。1230坪(約4000平方メートル)の広大な寺域には、琉球(りゅうきゅう)王国舜天(しゅんてん)王統の伝説上の開祖舜天王をはじめとする歴代琉球国王の神霊位を祀(まつ)った正廟(せいびょう)を中心に、中国の寺廟風の伽藍(がらん)が建ち並んでいた。当寺は琉球王朝時代の国廟で、中国からの冊封(さくほう)使は当寺でまず先王の霊を慰める祭りを行ってから、首里(しゅり)城に赴いて新王の冊封の大典を挙行することになっていた。尚真王が1492年(明応1)に鎌倉の円覚(えんがく)寺を模して創建した尚王家の香華(こうげ)院円覚(えんかく)寺とともに沖縄双璧(そうへき)の名刹(めいさつ)。第二次世界大戦前までは正廟、石門などが国宝に指定されていたが、沖縄戦により灰燼(かいじん)に帰した。しかし石門の一部が残り、現在は1952年(昭和27)に補修された総門(国の重要文化財)と、嘉靖(かせい)6年(1527)銘の石造下馬碑(げばひ)(県文化財)などにそのおもかげをとどめている。
[大鹿実秋]