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崇道天皇 スドウテンノウ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

崇道天皇 すどうてんのう

750-785 奈良時代の追尊天皇。
桓武天皇の同母弟,皇太子。死後の延暦(えんりゃく)19年天皇の尊称を贈られた。墓所は八嶋陵(やしまのみささぎ)(奈良市)。⇒早良親王(さわらしんのう)

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大辞林 第三版の解説

すどうてんのう【崇道天皇】

早良さわら親王の追号。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

崇道天皇
すどうてんのう

早良親王」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

崇道天皇
すどうてんのう

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世界大百科事典内の崇道天皇の言及

【桓武天皇】より

…平安京の建設と蝦夷征討の後世に及ぼした影響は大きいが,両者に要した巨額の費用は財政を圧迫し,ひいては民生の窮乏を招き,さらに早良親王の怨霊の祟りによって皇后藤原乙牟漏(おとむろ)の死や皇太子安殿(あて)親王(のちの平城天皇)の病気が起こるなど,桓武朝後半には暗い社会情勢がつのった。そこで天皇は800年早良親王に崇道天皇の号を贈り,井上内親王をも皇后位に復するなど怨霊の慰撫につとめ,また805年参議藤原緒嗣の意見を用いて造都,征夷の両事業を停止した。桓武天皇は渡来人の血をひくため中国文化に心酔し,また鷹狩を愛し,後宮も盛大をきわめるなど,古代帝王的面目を発揮した。…

【早良親王】より

…これに対して桓武天皇は,790年早良親王の墳墓に守冢一烟をおかせ,792年その墓地に湟(ほり)をめぐらせ穢れることのないようにし,経典の転読や幣帛を供えることとした。800年には崇道(すどう)天皇の尊号を贈り,805年には淡路国に寺を建立し,墓を改葬して大和国添上郡八島陵に移し,国忌・幣帛の例に加えた。桓武天皇は最後までその怨霊をおそれた。…

※「崇道天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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