日本歴史地名大系 「川成島村」の解説 川成島村かわなりじまむら 静岡県:富士市旧富士市地区川成島村[現在地名]富士市川成島中丸(なかまる)村の西に位置する。入道(にゆうどう)川の河口の新浜(しんばま)は駿河湾に面している。川成・我成とも記された。村名は河川が溢れて田地の荒れた所によるとか(修訂駿河国新風土記)、富士川の急流の音「河鳴」によるともいう(田子浦村誌)。戦国時代から江戸初期まで、富士川の本流は当村と宮島(みやじま)村の付近を流れていたとされる。中世の東海道であった五貫島(ごかんじま)村から鈴川(すずかわ)村へ至る道が通る。戦国時代吉原(よしわら)湊の矢部氏が吉原湊と富士川の渡船を支配していたが(天文二三年九月一〇日「今川義元判物」矢部文書)、慶長四年(一五九九)一〇月八日横田村詮は川成村の斎藤縫左衛門に、船越人らに屋敷地七反七畝余を与え、国役も免除するので富士川渡船の船越人らを集め支配するよう命じている(「横田村詮手形」斎藤家文書)。同五年には縫左衛門と邑楽善七に富士川渡船の支配をさせ、通行船賃として、在所一軒につき米一升の徴収を許可している(「横田村詮手形」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by