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…《ヤマト》の総集編が77年に劇場公開されて大ヒット,これが劇場用長編アニメ競作の口火となり,松本零士原作,りんたろう演出の《銀河鉄道999》(1979)のような劇場の大画面を生かした映像美をたんのうさせる作品や,宮崎駿演出,大塚康生作画監督の《ルパン三世・カリオストロの城》(1979)のような緩急自在の作劇,痛快なアニメート,奇想天外なギャグなど,おとなも満足させる内容と技術をそなえた冒険アニメの快作も生まれた。製作本数だけは世界一という日本の商業アニメの濫作状況の中で,実験的な自主アニメも活発に製作され,久里洋二の一連のナンセンス・ギャグ・アニメ(《人間動物園》1962,《殺人狂時代》1967など)がまず海外で注目され,次いで古川タク(《Head Spoon》1970,《驚き盤》1975など),J.トルンカに師事した〈人形アニメ〉の川本喜八郎(《鬼》1972,《火宅》1979,など),岡本忠成(《ふしぎなくすり》1965,《虹に向って》1977,など)らが,各地の国際映画祭で受賞して世界的な名声を得た。【岡田 英美子】。…
…人形のデザインから,製作,原案,シナリオ,絵コンテ,セットや小道具のデザイン,照明や撮影の指示,そしてみずから演技を示してアニメーターに演出意図を伝えるというところに至るまで,完ぺきな〈個人芸〉に徹したアニメづくりで,その個性と才気,美意識は,アンデルセン童話に託して自由へのあこがれと生命の輝きを歌いあげた《支那の皇帝の鶯》(1948),独特の抵抗精神をこめたチェコ国民風刺文学の映画化《シュベイク二等兵》シリーズ(1951‐55),華麗な美学と新解釈でシェークスピアに挑んだ《真夏の夜の夢》(1959),芸術の自由と圧政との戦いの中に苦渋に満ちた深いなぞを含む遺作《手》(1965)等々,すべての作品にうかがえる。アメリカのウォルト・ディズニーと並ぶアニメーションの巨匠といえる存在であり,その後継者として,例えばトルンカに親しく教えを受けたただ1人の日本人のアニメーション作家川本喜八郎がいる。【岡田 英美子】。…
※「川本喜八郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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