川野辺村(読み)かわのべむら

日本歴史地名大系 「川野辺村」の解説

川野辺村
かわのべむら

[現在地名]千早赤阪村川野辺

森屋もりや村の南東にあり、丘陵地に位置する。東部河野辺かわのべ城跡があり、元弘二年(一三三二)楠木正成が設けたもので屋敷やしき城ともよばれ、楠木氏の部将河野辺氏が拠ったという。正平一五年(一三六〇)楠木正儀らが設けた城も同地にあったという(大阪府全志)正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高一五六石余、幕府領、小物成として山年貢米一石余。元文二年(一七三七)の河内国高帳では一五七石余で以降幕末まで変化なし。領主変遷延享二年(一七四五)まで森屋村に同じで、幕末には幕府領。延享―寛延(一七四四―五一)頃のものと推測される石川郡二十四ケ村明細帳(浅尾家文書)によると百姓役屋三〇・無役屋三、人数二一六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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