森屋村(読み)もりやむら

日本歴史地名大系 「森屋村」の解説

森屋村
もりやむら

[現在地名]千早赤阪村森屋

なか村・神山こうやま(現河南町)の南にある。丘陵地に位置し、中央東寄りを千早川が北流する。同川沿いに富田林とんだばやし街道と重複する千早街道が通り、南部で水分すいぶん村に向かう富田林街道を分岐する。円墳数基からなる森屋古墳群が分布し、条里制遺構も確認される。元慶七年(八八三)九月一五日の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書)に、観心かんしん(現河内長野市)領庄園石川郡八所の一に杜屋もりや庄がみえる。同庄は当地にあったと考えられ、萱葺屋根の庄屋一宇、その付属地一町歩と五条社屋里二四坪一六〇歩の水田のみの、きわめて小規模なものである。立庄の経緯については記載がないが、同帳によれば他の七ヵ庄が貞観一一年(八六九)六月九日に民部省符によって観心寺に施入された官省符庄であるところから、同庄も同様ではなかったかと考えられる。建永二年(一二〇七)七月八日の僧深慶某寺領注進状(正木直彦氏所蔵文書)に引く康治二年(一一四三)注文に「源義領河内国石川東条田畠事、合 杜屋里 卅三坪町」などとみえ、同里八所の合計面積は石川庄約七〇町の一割を越える。南北朝時代には楠木氏下赤坂しもあかさか(国指定史跡赤坂城跡)が築かれた(→千早城跡・赤坂城跡。両畠山氏の抗争に際しては当地も戦場となった。


森屋村
もりやむら

[現在地名]小矢部市森屋

北屋敷きたやしき村の北、子撫こなで川の右岸に位置。森谷とも書く。小野この村・沢川そうごう(現福岡町)を経て能登に至る道(現県道名ヶ滝―西明寺線)が通る。子撫川の左への屈曲部に竜宮りゆうぐう淵がある。元和五年(一六一九)の家高新帳に村名がみえ、役家数四、峠組に属する。正保郷帳では高五七石余、田方八反余・畑方三町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五〇石・免五ツ三歩、小物成は山役二〇二匁(三箇国高物成帳)


森屋村
もりやむら

[現在地名]竹田市高伏たかぶし

濁淵にごりぶち川上流南岸の台地上にあり、南西は高伏村、北は小高野こだかの村。正保郷帳では長田ながた郷に属し、田方五四石余・畑方四三石余で、茅山有と注記される。弘化物成帳では木原組のうち、村位は下、免六ツ九分、田五九石余(六町五反余)・畑六四石余(一四町余)・屋敷三石余(三反余)で、開田三斗余(一反余)・開畑二石余(三町九反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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