工藤富治(読み)クドウ トミジ

20世紀日本人名事典 「工藤富治」の解説

工藤 富治
クドウ トミジ

大正・昭和期の航空技術者,実業家 大湊商工会理事。



生年
明治22(1889)年4月1日

没年
昭和34(1959)年5月5日

出生地
青森県大湊村(現・むつ市)

学歴〔年〕
大湊小学校高等科〔明治35年〕卒

経歴
明治36年海軍大湊水雷団修理工場に勤務し、見習工となる。41年海軍を退職、北海道に渡って職を転々としたのち大正4年ロシアのアナトラ飛行機工場に入り、飛行機製作に従事。6年に革命を避けてロシアを脱出、西欧各国を経てフランスに至り、10年ロシア時代の同僚であったドボォワチーヌの飛行機工場に入社。以後その主力技師・工場監督として活躍、ドボォワチーヌと共作でD1型やD33型などの名機を製作し、高い評価を得た。昭和7年帰国、浜松飛行機製作所を経て9年に東京瓦斯電気工業に勤務し、小型旅客機KR-6型千鳥号などを製作。10年頃より東京帝大航空研究所の委嘱で長距離試作機「航研機」製作を手がけるが、学者陣との対立や病気のため12年の完成間際に辞職した(結果的に「航研機」は1万1651キロという長距離飛行の世界記録を樹立)。その後、青森に帰郷して16年に工藤航機製作所を設立、20年には工藤鋼機製作所に改組し大湊商工会理事などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「工藤富治」の解説

工藤富治 くどう-とみじ

1889-1959 大正-昭和時代の航空技術者,実業家。
明治22年4月1日生まれ。大正4年ロシアで飛行機製作をまなび,6年フランスにうつり,指導者として活躍した。昭和6年帰国し,東京瓦斯(ガス)電気工業(のちの日立航空機)などに勤務。17年郷里青森県の大湊(むつ市)に工藤航空機製作所を設立(戦後,工藤鋼機に改組)した。昭和34年5月5日死去。70歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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