朝日日本歴史人物事典 「市岡猛彦」の解説
市岡猛彦
生年:天明1(1781)
江戸後期の国学者。通称は藤太郎。槲園,椎垣内と号した。尾張(名古屋)藩士市岡甚右衛門の子。寛政12(1800)年,町方吟味物調役に出仕,文化2(1805)年に家督を継いで町方吟味役並となり,本役に進み,没したときは長囲炉裏番であった。本居宣長の門に入ったのは寛政12年,翌年の師の死去に当たって本居春庭に再び入門,古学研究に力を注いだ。尾張鈴屋学派の中心メンバーとして,歌学と考証にすぐれ,一方,『讃酒百首』(1835)の詠作からは豪快落々の風貌がうかがえる。他に『紐鏡うつし辞』『雅言仮字格』などの著が板本で伝わっている。<参考文献>『名古屋市史人物編』2巻
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報