日本歴史地名大系 「市川大門町」の解説 市川大門町いちかわだいもんちよう 山梨県:西八代郡市川大門町面積:三二・七二平方キロ(境界未定)郡の北西部に位置し、東は三珠(みたま)町、南は下部(しもべ)町と六郷(ろくごう)町、西から北にかけては富士川と釜無川を隔てて南巨摩郡鰍沢(かじかざわ)町と増穂(ますほ)町、中巨摩郡甲西(こうさい)町に接する。北西部は甲府盆地南端の平地、そのほかは御坂(みさか)山地西端の山地および山脚部の台地に立地し、南東境界上に大畠(おおばたけ)山(一一一七・六メートル)・蛾(ひる)ヶ岳(一二七九メートル)がある。北東平地部を芦(あし)川がかすめ笛吹川に合流。山間峡谷を樋田(といだ)川・帯那(おびな)川・新(しん)川などの小河川が流れ、その流域に集落が散在している。JR身延線が西部から北部へ抜け、鰍沢口(かじかざわぐち)・市川大門・市川本町(いちかわほんまち)の三駅がある。国道一四〇号が甲西町から釜無川・笛吹川に架かる三郡(さんぐん)橋を渡り、笛吹川沿いを三珠町に抜ける。主要地方道の市川大門―鰍沢線がJR身延線にほぼ並走する。このほか県道四尾連湖公園(しびれここうえん)線、金川(かねかわ)―曾根(そね)広域農道などが国道および主要地方道と連結している。富士川左岸の舌状台地には縄文時代中期の宮の前(みやのまえ)遺跡・家の前(いえのまえ)遺跡・寺の前(てらのまえ)遺跡がある。宮の前遺跡からは旧石器時代の石器も確認されている。古代は巨麻(こま)郡市川郷(和名抄)に含まれたとするのが「甲斐国志」以来の通説である。「日本後紀」延暦二四年(八〇五)一二月二〇日条に「甲斐国巨麻郡弓削社」とみえる。しかし「延喜式」神名帳では八代郡六座中に弓削神社がみえ、両社を市川大門の弓削(ゆげ)神社とし、当地はこの間に巨麻郡から八代郡に編入されたと考えるのである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by