市村高田庄(読み)いちむらたかだのしよう

日本歴史地名大系 「市村高田庄」の解説

市村高田庄
いちむらたかだのしよう

さい川の北岸、千曲川の西岸の沖積平野部に立地。現長野市市村・高田の一帯

市村の名は、「兵範記」保元二年(一一五七)三月二九日条に収めた同二五日の太政官符に、「散位平正弘領」として「信濃国肆箇処」のうちに「高田郷 市村郷 野原郷」とみえる。初め平正弘領であり、保元の乱に正弘が崇徳上皇方にくみし敗れたため、後白河天皇が没官領として後院領としたものである。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の乃貢未済庄々注文に、「院御領市村庄」とあるが、建久二年(一一九一)一〇月注進の長講堂所領注文(島田文書)には「市村高田庄」とある。市村・高田両郷は後院領になる以前は独立郷であったが、両郷は相接していて、荘園化とともに「市村庄」とも「市村高田庄」とも称されるに至ったものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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