改訂新版 世界大百科事典 「没官領」の意味・わかりやすい解説
没官領 (もっかんりょう)
平安時代後期以降,国家反逆罪に対し,付加刑として国家すなわち官に没収された所領をいう。《古事記》や《日本書紀》には,すでに大和王権が地方豪族の土地・財産を没収する慣習法がみられ,奈良時代以降は律によって,国家反逆罪中最も重い天皇に危害を加える謀反(むへん)と宮城・陵墓を破壊する大逆(だいぎやく)とに,付加刑として父子田宅資財を没官する規定が設けられ,実施されてもいたが,それらは必ずしも土地が中心でなく,土地であっても〈領〉とよばれることはなかったので,通常没官領とはいわない。しかし,平安時代後期以降,社会が世襲される所領によって骨格づけられ,所領没収が重刑事犯罪一般にも適用される傾向が広がると,朝廷は上記の国家反逆罪に対する没官を,所領を主対象として積極的に展開するようになり,そのさい没官される所領を没官領とよぶようになった。1156年(保元1)の保元の乱にさいして没収された主謀者藤原頼長らの所領は,内容上から没官領の早い例であるが,史料の上で没官領の語が明確にみられるのは,平家追討にさいし後白河院が平家一門から没収した500余ヵ所にのぼる平家没官領である。
没官領は,没官ののち朝廷の判断で朝廷関係の機構や当該反逆者追討に功績のあった者に下賜するのが通例で,保元の乱の頼長領は後院領に編入され,平家没官領はおもに源頼朝に給与された。しかし当時,所領の内実は一般に重層的な種々の所職(しよしき)からなっていたため,当該反逆者のもつ職をそのまま継承する没官領の内容は,上は本家職から下は下司・公文職(くもんしき)等まで雑多であった。没官領は,鎌倉幕府登場以後も原則として朝廷が行う没収所領に対して用いられた語であり,承久の乱後没官された3000余所に及ぶ没官領を最大の例として,しばしば登場する。しかし南北朝を境として,朝廷が形式的にも土地領有の権限を失うとともに使用されなくなり,幕府がその独自の対象に用いてきた没収地,闕所地(けつしよち)などの語がその意味をも担うこととなった。
執筆者:義江 彰夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報