日本大百科全書(ニッポニカ) 「市野光彦」の意味・わかりやすい解説
市野光彦
いちのみつひこ
(1765―1826)
漢学者。明和(めいわ)2年2月10日、江戸に生まれる。神田弁慶橋の質商。通称市野屋三右衛門。字(あざな)は俊卿(しゅんけい)、また子邦。号は篔窓(うんそう)、のちに迷庵。俗諺(ぞくげん)に狩谷棭斎(かりやえきさい)(通称、津軽屋三右衛門)とあわせて「町人の学者は六右衛門」といわれた。黒沢迂仲(くろさわうちゅう)(雉岡(ちこう)、1713―1796)に朱子学を学び、林述斎(はやしじゅつさい)の講筵(こうえん)に列し、市河寛斎、佐藤一斎らと交遊があり、中年以後は棭斎の影響により考証学に転じ、1816年(文化13)正平本『論語』に札記を付けて校刊した。文政(ぶんせい)9年8月14日没。
[柴田光彦 2016年4月18日]
『川瀬一馬著「市野迷庵」(『日本書誌学之研究』所収・1943/復刊・1971・講談社)』▽『松崎慊堂撰「迷庵市野先生碣銘」(五弓久文編『事実文編 巻55』所収・1910・国書刊行会/復刊・1978・ゆまに書房)』