講談社[株] (こうだんしゃ)
野間清治が創業した出版社。野間は1909年に大日本雄弁会を設立,《雄弁》を刊行。このときは発売を大日本図書会社に委託。ついで11年講談社の名で《講談俱楽部》を発刊し,これを機に《雄弁》も大日本雄弁会発行とした。《講談俱楽部》は大正期に入って急速に部数を伸ばし,それが引金になって講談社からは《少年俱楽部》(1914),《面白俱楽部》(1916),《現代》(1920),《婦人俱楽部》(1920),《少女俱楽部》(1923),《キング》(1925),《幼年俱楽部》(1926)が相次いで刊行された。25年《キング》発刊の際,大日本雄弁会と講談社を合体して社名を大日本雄弁会講談社とした。31年ごろには前記9雑誌の総発行部数は約530万部に達し,国内雑誌発行部数の7~8割を占めるにいたった。それは野間の抱く〈おもしろくてためになる〉という,趣味と実益を兼ねた講談社文化のモットーが,広く大衆層に受け入れられたことを示している。その反面,その忠孝一本の国家主義的思想傾向がファシズム期において果たした積極的役割も見のがすことはできない。こうした役割がこの会社の第2次大戦後の出発を厳しいものにしたが,《群像》(1946)によって初めて純文学の分野にも進出し,昭和30年代以降は新しい大衆文化によく順応し,今日の隆盛を築いた。63年末に社名を講談社と改めた。96年現在,資本金3億円,従業員数は1000名余,定期刊行物約50種,年間新刊書発行点数は1000点をこえる。
執筆者:京谷 秀夫
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講談社[株]【こうだんしゃ】
1911年野間清治が創立した出版社。大日本雄弁会を野間はこれより前の1909年創立しており,《雄弁》を刊行していた。のち1925年,両者を統合して大日本雄弁会講談社,1958年株式会社講談社と改称。講談社創立と同時に雑誌《講談倶楽部》を発刊,好評をうけ,つづいて《少年倶楽部》《現代》《キング》等を発行し,一時は日本の全雑誌発行部数の7割を占めた。とくに《キング》は新しい大衆総合誌として大成功をおさめた。大衆層に広く受け入れられ,〈岩波文化〉と対比されて〈講談社文化〉と称された。関東大震災前後から書籍の出版も始め,戦後1946年には《群像》創刊により純文学分野にも進出,またコミックなど新しい大衆文化の動向にもよく対応し,広い分野にわたる出版活動を展開している。1930年発足のレコード事業部はのちのキングレコード(株)。総合出版社として,新刊発行点数,売上高でトップ。2011年資本金3億円,2011年11月期単独売上高1219億円。
→関連項目出版デジタル機構|小学館[株]|住井すゑ|野間清治
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講談社(株)
こうだんしゃ
総合出版社。1909年(明治42)野間清治が創業。最初、大日本雄弁会を創設して弁論雑誌『雄弁』を発行。11年『講談倶楽部(くらぶ)』を創刊して講談社を併称。25年(大正14)大日本雄弁会講談社に、58年(昭和33)株式会社講談社に改称。「面白くて為(ため)になる」出版を社是とし、大正年間『少年倶楽部』『婦人倶楽部』『キング』など9誌を創刊。創刊号を重版して74万部を売った『キング』は昭和初期150万部、9誌の合計発行部数は1か月529万部に達して「雑誌王国」と称された。第二次世界大戦後、『群像』を創刊して純文学部門へ進出した。58年には群像新人賞を制定して新人の発掘・育成に努めた。また『週刊現代』『少年マガジン』のほか、キングの現代版『現代』を創刊。出版は全分野にわたり、書籍だけで出版界最多の年間1000点以上を発行。光文社、キングレコードなど系列会社を含めて講談社グループを形成する。野間文芸賞、亀井勝一郎賞、吉川英治文学賞、同新人賞ほか多数の賞を主宰。
[小林一博]
『講談社編・刊『講談社の歩んだ五十年 明治・大正編、昭和編』(1959)』
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講談社
こうだんしゃ
野間清治によって1911年(明治44)11月3日に創立された出版社。野間は1909年に大日本雄弁会を設立し,翌年雑誌「雄弁」を創刊して成功をおさめていたが,雑誌「講談倶楽部」創刊のため同社を設立。以後「少年倶楽部」「面白倶楽部」「婦人倶楽部」「少女倶楽部」などの雑誌を刊行。25年(大正14)「おもしろくて,ためになる」大衆雑誌「キング」の創刊を機に,大日本雄弁会と合併して大日本雄弁会講談社となった。「キング」は日本の雑誌ではじめて100万部を突破。第2次大戦後は,戦争責任を追及されて全役員が辞職するなど危機に直面したが再興し,55年講談社と改称。
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講談社
こうだんしゃ
出版社。1909年野間清治によって創立された大日本雄弁会がその前身で,1911年講談社となり,1925年大日本雄弁会講談社に改称,1938年株式会社に改組し,1958年現社名となった。1911年『講談倶楽部』,1914年『少年倶楽部』,1920年『現代』『婦人倶楽部』と次々に雑誌を創刊して成功。特に 1924年には『キング』を創刊して,たちまち 100万部をこえる奇跡的成功を収め,大衆文化に大きな役割を果たした。雑誌『群像』『現代』などをはじめ,コミック誌から書籍まで活発な出版活動を続けている。
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講談社
正式社名「株式会社講談社」。英文社名「Kodansha Ltd.」。サービス業。明治42年(1909)「大日本雄弁会」創業。同44年(1911)「講談社」設立。大正14年(1925)「大日本雄弁会講談社」に改称。昭和13年(1938)株式会社化。同33年(1958)現在の社名に変更。本社は東京都文京区音羽。出版社。男性・女性誌、コミック誌、書籍などを刊行。「吉川英治文学賞」「江戸川乱歩賞」「講談社出版文化賞」などを催行。
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世界大百科事典(旧版)内の講談社の言及
【雑誌】より
…《[講談俱楽部]》(1911)が創刊まもなくに講談師たちの反発に直面して,余儀なく作家たちに〈新講談〉を書かせたことが,思いがけず新しい読者層に応じた文芸を射当てた結果となった。大衆文芸とのちに呼ばれることになるこの新文化を少年層や婦人層に試みる《[少年俱楽部]》《[婦人俱楽部]》などを次々に創刊した講談社の野間清治は,1925年に《[キング]》を創刊して〈100万部の国民雑誌〉を実現し雑誌王国を完成させた。 《[主婦の友]》(1917)は,料理,家計など家事の実用記事を盛り,のちには有名人の教訓や大衆作家の作品を加えて,大正年間に発行部数第1位の雑誌となった。…
【少年俱楽部】より
…1914年11月創刊,62年12月まで,臨時増刊号を含めて48年間に611冊を刊行。大日本雄弁会講談社発行。明治期には,北隆館その他から3種類の同名の《少年俱楽部》が発行されたが,いずれも短命におわり,《少年俱楽部》といえば講談社版を指す。…
※「講談社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」