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狩谷棭斎 かりやえきさい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狩谷棭斎
かりやえきさい

[生]安永4 (1775).12.1. 江戸
[没]天保6 (1835).7.4.
江戸時代後期の考証学者。名は望之,字は郷雲。江戸神田,晩年は浅草に住み,通称を津軽屋三右衛門という。棭斎は号。富裕で商用のかたわら学事に身をゆだね,松崎慊堂を師として,日本古代の制度を研究するためにその根源をたずねようとした。

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デジタル大辞泉の解説

かりや‐えきさい【狩谷棭斎】

[1775~1835]江戸後期の考証学者。江戸の人。本姓は高橋。名は望之。日本の古典の考証・注解や金石文の収集などに業績を残した。著「日本国現報善悪霊異記攷証」「古京遺文」「箋注倭名類聚抄(せんちゅうわみょうるいじゅしょう)」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

狩谷棭斎 かりや-えきさい

1775-1835 江戸時代後期の考証学者。
安永4年12月1日生まれ。江戸の豪商津軽屋の養子となる。屋代弘賢(ひろかた)にまなぶ。和漢の善本を収集し,日本の古代文化の考証をすすめて「本朝度量権衡攷(こう)」や「和名類聚抄箋注(わみょうるいじゅしょうせんちゅう)」をあらわす。また漢籍古典の校定に力をそそいだ。天保(てんぽう)6年閏(うるう)7月4日死去。61歳。江戸出身。本姓は高橋。名は望之。字(あざな)は卿雲。通称は三右衛門。別号に求古楼,蟫翁。

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世界大百科事典 第2版の解説

かりやえきさい【狩谷棭斎】

1775‐1835(安永4‐天保6)
江戸後期の考証学者。名は望之(もちゆき),別号は求古楼,家号は実事求是書屋など。本姓高橋。青裳堂と号する江戸の書店に生まれ,縁戚の富商津軽屋三右衛門の養子となる。屋代弘賢(ひろかた)に和漢の学を受け,市野迷庵について漢学を修めた。若くして律令の研究に志し,漢・唐代の書を渉猟,よくその蘊奥(うんのう)をきわめるにいたる。晩年は浅草に移住し,松崎慊堂(こうどう),北静廬,村田了阿と親交を結び,互いにしのぎを削った。

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大辞林 第三版の解説

かりやえきさい【狩谷棭斎】

1775~1835) 江戸後期の考証学者。名は望之。江戸の人。漢学を修め、特に唐代律令の研究に優れ、また日本の古典・金石文・古辞書・度量衡などの研究にも力を注いだ。著「日本霊異記攷証」「古京遺文」「和名類聚抄箋注」「本朝度量権衡攷」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

狩谷
かりやえきさい
(1775―1835)

江戸後期の国学者。安永(あんえい)4年12月1日生まれ。江戸・下谷(したや)池之端仲町の本屋青裳堂(せいしょうどう)高橋高敏の子。初名真末(まさやす)。25歳、湯島の津軽藩御用商人狩谷家を嗣(つ)ぎ、名を望之(もちゆき)と改め、津軽屋三右衛門を称す。斎は号(41歳隠居後通称とする)。別号を求古楼。20歳ごろから上代の制度の研究を志し、度量衡に関する考証『本朝度量権衡考』(成立年未詳)や、史書の記載を補う金石文を集めて考証した『古京遺文』(1818序成立)などを著す。また、吉田篁(こうとん)が提唱した校勘学を継承し、清朝(しんちょう)考証学の方法を取り入れて、『日本国現報善悪霊異記考証』(1821刊)、『和名類聚抄箋注(わみょうるいじゅしょうせんちゅう)』(『箋注倭名類聚抄』とも。1827序成立)など、校勘(本文研究)の分野でとくに優れた業績を残す。また、屋代弘賢(やしろひろかた)らと求古楼展観(貴重書を持ち寄って調査・検討する会)を催し、書誌学の進歩に貢献したほか、書家、古銭など古器物の蒐集(しゅうしゅう)家としても知られる。天保(てんぽう)6年閏(うるう)7月4日没。61歳。墓碑は東京都豊島(としま)区巣鴨(すがも)の法福寺に現存。稿本類は静嘉堂(せいかどう)文庫、大東急記念文庫、国立国会図書館、国立公文書館などに所蔵。[梅谷文夫]
『『狩谷斎全集』9冊(『日本古典全集』所収・1925~28・同書刊行会) ▽川瀬一馬著『日本書誌学之研究』(1943・講談社) ▽川瀬一馬著『続日本書誌学之研究』(1980・雄松堂) ▽「狩谷斎雑記」(『森銑三著作集7』所収・1971・中央公論社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の狩谷棭斎の言及

【金石学】より

…金属や石など硬質の素材に刻まれた文,すなわち金石文(碑文)を考察対象とする学問。碑文学ともいう。金石文はオリエント,ギリシア・ローマ,インド,中国,朝鮮,日本など世界各地に伝存し,それぞれについて研究が進められている。
[ギリシア・ローマ]
 ギリシア・ローマの金石文は,量質ともに豊富であるうえ,テキストの収集・校訂・刊行もきわめて盛んであって,古代ギリシア・ローマ史研究のうえで重要な役割を果たしている。…

【古京遺文】より

…1818年(文政1)7月,狩谷棭斎が著した古代金石文の研究書。棭斎は,江戸時代を代表する考証学者であり,《箋注和名類聚鈔》《日本霊異記攷証》等の著作がある。…

【度量衡】より

…下って《延喜式》(927)には,度量権衡の語が見られる。近世の文献から2例だけあげれば,狩谷棭斎は《本朝度量権衡攷》(1835)を著して中国,日本の度量衡の脈絡を考証し,青山幸哉は《西洋度量考》(1855)を編述して西欧の度量衡を体系的に紹介した。 なお度量衡に対応する西欧語は,英語weights and measures,フランス語poids et mesures,ドイツ語Mass und Gewichtなどであって,質量(weights,poids,Gewicht)と長さ・体積(measures,mesures,Mass)との並列という表現になっている。…

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