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佐藤一斎 さとう いっさい

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美術人名辞典の解説

佐藤一斎

幕末の儒者・漢学者。江戸生。文永の次子。名は信行・担、字は大道、別号に老吾軒。中井竹山・林簡順の門に入り儒学を学ぶ。安政6年(1859)歿、88才。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

佐藤一斎

岩村藩家老の佐藤信由を父に、江戸藩邸で生まれた。朱子学陽明学に通じ、幕府の学問所「昌平黌」の儒官(現在の大学学長)を務めた。門人に佐久間象山横井小楠渡辺崋山らがおり、象山の教えを吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬が受けた。「言志四録」は、一斎が40代から80代にかけて著した「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋(てつ)録」の総称。1133条あり、西郷隆盛も抄本を手元に置いたという。講談社学術文庫から出版されている。

(2012-04-10 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

さとう‐いっさい【佐藤一斎】

[1772~1859]江戸後期の儒学者。江戸の人。名は坦。中井竹山林述斎に学び、林家の塾長、昌平坂学問所教授を歴任。門人から渡辺崋山佐久間象山中村正直らを出した。著「言志録」など。

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百科事典マイペディアの解説

佐藤一斎【さとういっさい】

江戸後期の朱子学者,陽明学者。美濃(みの)国岩村藩の家老の家に生まれ,1790年藩主の第3子松平衡(たいら)(後の林述斎)の近侍となる。井上四明に学び,のち大坂で中井竹山につき陽明学に傾く。
→関連項目中村正直松崎慊堂山田方谷渡辺崋山

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐藤一斎 さとう-いっさい

1772-1859 江戸時代後期の儒者。
明和9年10月20日生まれ。美濃(みの)(岐阜県)岩村藩家老佐藤文永の次男。藩主松平乗薀(のりもり)の子の林述斎(じゅっさい)とともにまなぶ。林家の塾頭をへて昌平黌(しょうへいこう)教授となる。朱子学と陽明学を折衷した学風で,門人に渡辺崋山(かざん),佐久間象山(しょうざん)らがいる。安政6年9月24日死去。88歳。名は信行,のち坦(たいら)。字(あざな)は大道。通称は幾久蔵,捨蔵。別号に愛日楼。著作に「言志四録」など。
【格言など】春風をもって人に接し,秋霜をもって自らつつしむ(「言志後録」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

佐藤一斎

没年:安政6.9.24(1859.10.19)
生年:安永1.10.20(1772.11.14)
江戸中・後期の儒学者。林家塾塾頭。のち昌平坂学問所教官。名は坦,字大道,通称捨蔵,号(惟)一斎,愛日楼。岩村藩(岐阜県)藩士佐藤信由と留の子として江戸の藩邸内で生まれた。早くから読書を好み,書をよくした。藩主松平乗薀の3男乗衡(のちに林家を継いで大学頭述斎となる)とは,共に勉学に励んだ。寛政3(1791)年20歳のときに致仕を願い出て許され,翌年大坂で中井竹山に学び,5年には江戸に出て林錦峯(信敬)に入門したが,間もなく錦峯が死去し松平乗衡(名を衡に改む)が幕命により林家に養子に入って,今度は師弟の関係になった。文化2(1805)年林家塾の塾頭となり,全国の学界の頂点に位置して名声は高まり,多数の門弟を抱えるようになった。文政9(1826)年岩村藩から老臣の列に加えられ,政治に参与し,15人扶持(のちに20人扶持)を給せられた。天保12(1841)年一旦隠居したが,幕府から学問所教授(御儒者)に抜擢され(切米200俵と15人扶持),所内の官舎に移り,没するまで在職した。 一斎の学問は異学の禁後の林家塾頭,昌平黌教授の立場から表向きは朱子学を標榜したが,実際には王陽明らの影響を深く受けており,「陽朱陰王」などといわれた。一斎の思想は「言志四録」(『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』)に最もよく表れている。易に詳しく『周易欄外書』『易学啓蒙欄外書』などの著があり,その独自の宇宙観,人生観の基底をなしている。経学ではこのほか,大学・中庸・論語・孟子・小学・近思録・伝習録の各『欄外書』など多数の著書がある。文章は韓愈,欧陽修のほか,王陽明を範としていた。その詩文は『愛日楼文詩』(1829)のほか,『愛日楼稿本』(大日本思想全書16巻)などに収められている。厳粛勤勉な性格で,常に時計を座右に置いていたという。<参考文献>高瀬代次郎『佐藤一斎と其門人』,五弓久文編『事実文編』58巻

(梅澤秀夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さとういっさい【佐藤一斎】

1772‐1859(安永1‐安政6)
江戸後期の儒者。名は坦,字は大道,通称は捨蔵。号は一斎のほか,愛日楼,老吾軒など。美濃岩村藩の家老職の家に生まれ,藩主の三男でのちの林述斎とともに儒学を学ぶ。また大坂の中井竹山にも学び,林家の門に入る。述斎が林家を継ぐとこれに師弟の礼をとり,1805年(文化2)には林家の塾長となって門生の教育に当たった。述斎没後の41年(天保12),幕府の儒官となり昌平黌で教えた。その学問は立場上表面は朱子学をとったが,陽明学の影響も強く受け,〈陽朱陰王〉と評された。

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大辞林 第三版の解説

さとういっさい【佐藤一斎】

1772~1859) 江戸後期の儒学者。美濃岩村藩家老の子。名は坦。別号、愛日楼。昌平黌しようへいこうの儒官となる。朱子学を講じたが、学説としては陽明学に拠り、渡辺崋山・佐久間象山・林鶴梁など多くの俊秀を輩出した。著「言志四録」「愛日楼文詩」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐藤一斎
さとういっさい

[生]安永1(1772).10. 江戸
[没]安政6(1859).9.24. 江戸
江戸時代後期の儒学者。名は坦,字は大道,通称は捨蔵。別号は愛日楼。父は美濃,岩村藩家老信由。中井竹山,皆川淇園,林述斎に学び,文化2 (1805) 年林家の塾長,文政6 (26) 年岩村藩儒官,天保 12 (41) 年江戸幕府儒官となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐藤一斎
さとういっさい
(1772―1859)

幕末期儒学思想界の大御所。名は信行、のちに坦。通称は幾久蔵(きくぞう)、のちに捨蔵。字(あざな)は大道。号は一斎、愛日楼(あいじつろう)、老吾軒、百之寮、風自寮。美濃(みの)国(岐阜県)岩村藩家老の二男に生まれ、藩主松平乗蘊(まつだいらのりもり)(1716―1783)の三男、後の林述斎(じゅつさい)と兄弟のごとくして育った。34歳で林家の塾頭となり、70歳で昌平黌(しょうへいこう)の儒官となる。一斎は若いときから陽明学の信奉者であったが、寛政(かんせい)異学の禁の波及効果の一つとして、藩籍を離脱して大坂に出て、中井竹山(なかいちくざん)に朱子学を学んだ。しかし、のちに林家の塾頭になったときでさえも、公人としては朱子学を講じはしたものの、個人的信念としてはあくまでも陽明学の信奉者であった。「陽朱陰王」などと陰口をたたかれもしたが、「公朱私王」とでもいいうべきものである。朱子学・陽明学を兼採した一斎の宋明(そうみん)性理学に関する学殖は当代随一であった。一斎門では天下の俊秀と講学できることも大きな魅力であった。幕末期の文教政策・人材養成の点で果たした一斎の功績はきわめて大きいものがあった。主著に『言志(げんし)四録』『愛日楼文詩』(1829)などがある。田公平]
『相良亨・溝口雄三他校注『日本思想大系46 佐藤一斎・大塩中斎』(1980・岩波書店) ▽宮城公子編・訳『日本の名著27 大塩中斎・佐藤一斎』(1984・中央公論社)』

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世界大百科事典内の佐藤一斎の言及

【武士道】より

…〈甲冑ハ辱ム可カラザルノ色ナリ。人ハ礼譲ヲ服シテ以テ甲冑ト為サバ誰カ敢テ之ヲ辱シメン〉という佐藤一斎の言葉は,近世武士社会における礼儀尊重の精神を語るものである。武士【相良 亨】。…

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