日本歴史地名大系 「帆山村」の解説 帆山村ほやまむら 福井県:武生市旧今立郡地区帆山村[現在地名]武生市帆山町日野川東岸村国(むらくに)山南西麓に位置する。「太平記」巻一八(越前府軍并金崎後攻事)に延元元年(一三三六)一一月のこととして「同二十九日ニ、三千余騎ニテ押寄セ、一日一夜責戦テ、遂ニ高経ガ楯籠タル新善光寺ノ城ヲ責落ス。此時又被討者三百余人、生虜百三十人ガ首ヲ刎テ、帆山河原ニ懸並ブ」とある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図の今南西(いまなんせい)郡中に村名と高二二一・五六石が記され、正保郷帳によると田方一九五石余・畠方四五石余。福井藩領(府中本多氏知行所)。当村と日野川対岸の大門河原(だいもんがわら)村との間には、府中から味真野(あじまの)方面に至る街道に連絡する重要な帆山渡があった。 帆山村ほのやまむら 香川県:仲多度郡仲南町帆山村[現在地名]仲南町十郷(そごう)福良見(ふくらみ)村の西、金倉(かなくら)川支流の照井(てるい)川の上流域に位置する。地名は俗説では往古塩入まで潮が入っていた頃、この辺りは帆掛船が通っていたからという。寛永国絵図には骨山とあり七(しち)ヶ村に属する。寛文四年(一六六四)の丸亀藩高辻帳に帆ノ山村とあり高七〇石余。天保郷帳では高一九五石余。「西讃府志」によると田畝二三町八反余(うち畑三町八反余・屋舗七反余)、租税は米七三石余・大麦一石余・小麦九斗余・大豆一石余、家数三八・人数二一一、牛三二・馬三、溜池は天王池など八。帆山はホトトギスの名所として知られ、その雅名帆山は金毘羅を中心とした文人墨客に愛されて、その訪れる所となった(「奈良広業歌集」奈良家蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by