常呂郡(読み)ところぐん

日本歴史地名大系 「常呂郡」の解説

常呂郡
ところぐん

明治二年(一八六九)より現在までの北見国および網走支庁管内の郡名。明治二年八月一五日設置(公文録)モンベツ場所の一部が郡域となる。現在は佐呂間さろま町・常呂町・端野たんの町・留辺蘂るべしべ町・置戸おけと町・訓子府くんねつぷ町の六町。北海道北東部に位置し、北見国の東部を占める。北西紋別郡、南は釧路国足寄あしよろ郡、東は網走郡に接し、北はオホーツク海に面する。名称は松浦武四郎の提案により、「常呂ところ郡」とされた(「郡名之儀ニ付奉申上候条」松浦家文書)。同年八月開拓使の所管になり、同年九月の諸藩分領により同三年閏一〇月まで安芸広島藩の支配に割当てられ、その後開拓使直轄となった。同五年一月根室出張開拓使庁、九月開拓使根室支庁の管轄となる(「事業報告」第一編)。この間、同年八月には紋別郡との境が確定した(紋別市史)。同一二年網走斜里常呂紋別郡役所(開庁は同一三年七月)の管轄、同一五年二月には根室県管轄、同一九年一月には根室支庁管轄となり、同年一二月からは北海道庁に所属。同三〇年一一月網走支庁管下となる(法令全書)。明治五年三月、常呂郡など根室出張開拓使庁管下の村名が定められ(「事業報告」第一編)、同六年には常呂(トコロ)、トーフツ(トウフツ)、チヱウシ(チイウシ)、ブトチャンナヱ(フトチャンナイ)、テシヲマナヱ(テシヲマナイ)、ノツケシ(ノツケウシ)、ムヱカヲツ子の七村(「北見国地誌提要」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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