訓子府村(読み)くんねつぷむら

日本歴史地名大系 「訓子府村」の解説

訓子府村
くんねつぷむら

[現在地名]常呂(ところ)郡訓子府町仲町(なかまち)・西幸町(にしさいわいまち)・東幸町(ひがしさいわいまち)・大町(おおまち)・旭町(あさひまち)・栄町(さかえまち)・末広町(すえひろまち)・東町(ひがしまち)・元町(もとまち)・若富町(わかとみまち)・若葉町(わかばまち)・字大谷(おおたに)・字日出(ひので)・字福野(ふくの)・字穂波(ほなみ)・字柏丘(かしわおか)・字弥生(やよい)・字高園(たかぞの)・字美園(みその)・字実郷(みさと)・字緑丘(みどりおか)・字清住(きよずみ)・字協成(きようせい)・字開盛(かいせい)・字常盤(ときわ)・字豊坂(とよさか)・字西富(にしとみ)・字北栄(ほくえい)・字駒里(こまさと)、置戸(おけと)町字常盤

大正九年(一九二〇)から昭和二六年(一九五一)まで存続した常呂郡の自治体。大正九年六月置戸村から分村し、二級町村として成立した。「戊午日誌」(登古呂誌)には「クン子フ」と書かれ、「此川水闇きが故に号るなり。クン子はくらきと云儀」と記されている。明治四四年(一九一一)の淕別(りくんべつ)(現陸別町)―野付牛(のつけうし)(現北見市)間の池網(ちもう)線(現北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)開通と、訓子府駅の開設以来急速に進んだ開拓と第一次世界大戦による木材・雑穀類の好況とが相まって、分村当時二千七四〇町歩が開拓されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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