日本歴史地名大系 「訓子府村」の解説
訓子府村
くんねつぷむら
大正九年(一九二〇)から昭和二六年(一九五一)まで存続した常呂郡の自治体。大正九年六月置戸村から分村し、二級町村として成立した。「戊午日誌」(登古呂誌)には「クン子フ」と書かれ、「此川水闇きが故に号るなり。クン子はくらきと云儀」と記されている。明治四四年(一九一一)の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大正九年(一九二〇)から昭和二六年(一九五一)まで存続した常呂郡の自治体。大正九年六月置戸村から分村し、二級町村として成立した。「戊午日誌」(登古呂誌)には「クン子フ」と書かれ、「此川水闇きが故に号るなり。クン子はくらきと云儀」と記されている。明治四四年(一九一一)の
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