日本大百科全書(ニッポニカ) 「常呂」の意味・わかりやすい解説
常呂
ところ
北海道東部、網走(あばしり)支庁(現、オホーツク総合振興局)管内にあった旧町名(常呂町(ちょう))。現在は北見市の北東部を占める地域。旧常呂町は1950年(昭和25)町制施行。名称はアイヌ語トゥコロ(峰筋(みねすじ)をもつ山のすその意)によるなど、いくつかの説がある。2006年(平成18)、端野町(たんのちょう)、留辺蘂町(るべしべちょう)2町とともに北見市に合併。国道238号が通じる。網走市の西に接し、北はオホーツク海に面する。常呂川の下流域を占め、サロマ湖の北東部を含む。常呂川河口に近い台地の砂丘上に縄文期以降擦文(さつもん)期に至る竪穴住居群や墳墓が残る常呂遺跡群(国指定史跡)がある。幕末期に漁場が置かれ、農業開拓は1898年(明治31)岐阜県からの団体入植で本格化した。現在ジャガイモ、麦類、サトウダイコン(テンサイ)など寒冷地畑作と酪農が行われ、サケ定置網漁業、サロマ湖のホタテ・カキ養殖など水産業も活発である。サロマ湖沿岸は網走国定公園域でワッカ原生花園がある。
[岡本次郎]
『『常呂町百年史』(1989・常呂町)』