常盤町三丁目(読み)ときわちようさんちようめ

日本歴史地名大系 「常盤町三丁目」の解説

常盤町三丁目
ときわちようさんちようめ

[現在地名]墨田区千歳ちとせ三丁目

本所松井ほんじよまつい町二丁目の南にある片側町。東は弥勒寺と武家地、南・西も武家地。深川常盤町三丁目とも称する。もとは常盤町一丁目・同二丁目(現江東区)などとともにたて四之しの(四ッ目橋)際南側にあり、南松代みなみまつしろ町三丁目と称し、寛文年間(一六六一―七三)に百姓町屋御免、正徳三年(一七一三)に町奉行・代官両支配となった町であった。寛政二年(一七九〇)松代町一丁目・同二丁目とともに類焼し、火除地として上地となったため、本所二之にの(二ッ目橋)通に代地を与えられて移転した。


常盤町三丁目
ときわまちさんちようめ

[現在地名]東区常盤町二丁目

御祓おはらい筋を境に常盤町二丁目の西に延びる両側町。山城伏見ふしみから移った町で、もと伏見立売ふしみたちうり町三丁目と称していたが、延宝八年(一六八〇)常盤町三丁目と改称した(大坂町之内町名替り候写、安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数二二・役数二三役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は天王寺屋源兵衛。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む