幡尻村(読み)はたじりむら

日本歴史地名大系 「幡尻村」の解説

幡尻村
はたじりむら

[現在地名]三田市上本庄(かみほんじよう)

大音所(おおおんじよ)村の西、西境の西鎌倉(にしかまくら)山・焼(やき)山、東境の奥(おく)山に囲まれた山間に立地し、山麓部に農地が開け、集落が散在する。南境を武庫(むこ)川が東流する。北は丹波国多紀(たき)郡当野(とうの)村(現篠山市)に接する。慶長国絵図に畑(はた)村とみえ、大音所村・須磨田(すまだ)村ともで高四五〇石。正保郷帳に幡尻村とみえ、高一一六石余。御領分御高付覚(九鬼家文書)によれば、古くは野々倉上(ののくらかみ)村のうちであったが、承応三年(一六五四)に分村したという。天保郷帳では野々倉を冠して幡尻村とみえ、高一二八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む