幡尻村(読み)はたじりむら

日本歴史地名大系 「幡尻村」の解説

幡尻村
はたじりむら

[現在地名]三田市上本庄かみほんじよう

大音所おおおんじよ村の西、西境西鎌倉にしかまくら山・やき山、東境おく山に囲まれた山間に立地し、山麓部に農地が開け、集落が散在する。南境を武庫むこ川が東流する。北は丹波国多紀たき当野とうの(現篠山市)に接する。慶長国絵図にはた村とみえ、大音所村・須磨田すまだ村ともで高四五〇石。正保郷帳に幡尻村とみえ、高一一六石余。御領分御高付覚(九鬼家文書)によれば、古くは野々倉上ののくらかみ村のうちであったが、承応三年(一六五四)に分村したという。天保郷帳では野々倉を冠して幡尻村とみえ、高一二八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む