平井 金三郎
ヒライ キンザブロウ
明治・大正期の教育者,言語学者
- 生年
- 安政6年(1859年)
- 没年
- 大正5(1916)年3月13日
- 出生地
- 京都
- 経歴
- 外務省文書局勤務を経て、京都に帰り、明治18年学校オリエンタル・ホールを創立、同志社に拮抗した。門下から姉崎正治、加藤咄堂らを出す。一時出家して龍華と称した。25年シカゴ世界宗教大会に日本仏教代表として出席。のち東京外国語大学、慶応義塾大学などの教授を務め、また日印協会、ローマ字ひろめ会、心象研究会を創立した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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平井金三郎(1) ひらい-きんざぶろう
1859-1916 明治-大正時代の教育者,言語学者。
安政6年生まれ。外務省勤務後,明治18年郷里京都に学校オリエンタルホールを設立し,姉崎正治,松山忠二郎らをそだてる。一時僧となり,26年シカゴの万国宗教大会で英語で演説。のち東京外国語学校(現東京外大),一高の教授をつとめ,日印協会,ローマ字ひろめ会を創立。大正5年3月13日死去。58歳。
平井金三郎(2) ひらい-きんざぶろう
1884-1972 大正-昭和時代の小児科学者。
明治17年2月27日生まれ。佐々木研究所員をへて,大正14年長崎医大教授となる。昭和29年大阪医大教授。腸内細菌による毒物生成の実験的研究から,乳児の食餌性中毒症の治療法を確立した。21年学士院賞。昭和47年3月23日死去。88歳。三重県出身。京都帝大卒。旧姓は岩村。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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