平城坂上墓(読み)ならさかのへのはか

日本歴史地名大系 「平城坂上墓」の解説

平城坂上墓
ならさかのへのはか

[現在地名]奈良市佐紀町

仁徳天皇の皇后磐之姫命の墓で、水上みなかみ池の北に隣接するヒシャゲ山に治定されている。環濠前方後円墳で、封土の全長二一九メートル、前方部幅一四五メートル、後円部直径一二四・五メートル。濠は現在前方部のみ二重になっており、北から東へかけての濠外には七基の陪冢が残存する。「日本書紀」仁徳紀に「三十五年の夏六月に、皇后磐之姫命、筒城宮に薨りましぬ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む