平城坂上墓(読み)ならさかのへのはか

日本歴史地名大系 「平城坂上墓」の解説

平城坂上墓
ならさかのへのはか

[現在地名]奈良市佐紀町

仁徳天皇の皇后磐之姫命の墓で、水上みなかみ池の北に隣接するヒシャゲ山に治定されている。環濠前方後円墳で、封土の全長二一九メートル、前方部幅一四五メートル、後円部直径一二四・五メートル。濠は現在前方部のみ二重になっており、北から東へかけての濠外には七基の陪冢が残存する。「日本書紀」仁徳紀に「三十五年の夏六月に、皇后磐之姫命、筒城宮に薨りましぬ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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