平塚益徳(読み)ヒラツカ マスノリ

20世紀日本人名事典 「平塚益徳」の解説

平塚 益徳
ヒラツカ マスノリ

昭和期の教育学者 国立教育研究所名誉所長;九州大学名誉教授



生年
明治40(1907)年6月19日

没年
昭和56(1981)年3月10日

出生地
東京市小石川区(現・東京都文京区)

学歴〔年〕
東京帝大文学部教育学科〔昭和6年〕卒,東京帝大大学院教育学〔昭和10年〕修了

学位〔年〕
文学博士

経歴
昭和11年国民精神文化研究所嘱託となり、「日本教育史資料書」編集に従事。15年広島高師教授、19年九州帝大法文学部教授、24年九州大学教育学部教授、28年教育学部長、31年同学部附属比較教育文化研究施設長を歴任。35年日本人として初のユネスコ本部教育局長就任など海外でも活躍。38年国立教育研究所長に就任、「日本近代教育百年史」(全10巻)を完成させた。53年辞任、名誉所長となる。中央教育審議会委員、日本ユネスコ国内委員会委員長なども歴任。主著に「日本基督教主義教育文化史」「近代支那教育文化史」「日本の進路」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平塚益徳」の意味・わかりやすい解説

平塚益徳
ひらつかますのり

[生]1907.6.19. 東京
[没]1981.3.10. 東京
教育学者。 1931年東京大学教育学科卒業。広島高等師範学校教授,九州大学教授,ユネスコ本部教育局長 (1960) ,国立教育研究所長 (63~78) などを歴任した。日本教育史,西洋教育史のほか,比較教育学,道徳教育社会教育など広範にわたって研究。また数多くの審議会で会長職をつとめるなど,日本の教育発展に尽力し,アジアにおけるユネスコ活動にも指導的な役割を果した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平塚益徳」の解説

平塚益徳 ひらつか-ますのり

1907-1981 昭和時代の教育学者。
明治40年6月19日生まれ。広島高師,九州帝大の教授をへて,昭和28年九大教育学部長。35年日本人初のユネスコ本部教育局長。38年国立教育研究所長となり,「教育百年史」全10巻を完成させた。昭和56年3月10日死去。73歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「近代支那教育文化史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平塚益徳」の解説

平塚 益徳 (ひらつか ますのり)

生年月日:1907年6月19日
昭和時代の教育学者。国立教育研究所所長;九州大学教授
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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