平形館跡(読み)ひらかたたてあと

日本歴史地名大系 「平形館跡」の解説

平形館跡
ひらかたたてあと

[現在地名]藤島町平形 高畑

平形遺跡群中にあり、昭和四七―四八年(一九七二―七三)に圃場整備に伴い調査され、土塁の一部が県指定史跡として保存されている。南方約八〇〇メートルに藤島城跡があり、その支城と推定される。平賀氏の館跡とみられる。東西一〇〇メートル、南北一四六メートルの長方形区画を、基底部幅七メートル、高さ二・五メートルの土塁がめぐり、その外側は濠があったものと思われる。土塁の南と西側の一部が切れており、この部分に虎口があったものと推定される。とくに西側では濠を渡ると西へ延びる直線状の道路が発見されている。内部からは土壙や溝・柱穴が多く発掘され、珠洲焼系の中世陶器・宋銭・銅鏡(亀甲文鏡)石臼などが発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む