中国の宋代(960~1279)に鋳造された銭貨。銅銭と鉄銭がある。北宋(960~1127)の太祖が宋元(そうげん)通宝を鋳造し、太宗の時代に太平(たいへい)通宝、淳化(じゅんか)通宝、至道(しどう)元宝を発行してのち、おおむね改元ごとに、その年号を記した銭が鋳造された。当時、貨幣需要が大で、鋳造技術の未熟な諸外国では、宋銭を輸入して、この欲求を満たしていた。このため北宋末期から宋の銅銭流出は盛んで、南宋(1127~1279)になると、ますますこの傾向が進んだため、南宋末期には貿易縮小、また禁止による流出防止政策がとられた。現在、宋銭は日本をはじめ南洋一帯、アフリカ東岸の地域で発掘出現している。
日本では、9世紀遣唐使廃止後も続いた日中私貿易が12世紀以降盛んとなり、多量の宋銭が流入し、皇朝十二銭とともに流通したが、宋銭の増加は物価の動揺を引き起こすとの理由で、朝廷は1179年(治承3)以後、しばしば宋銭の流通を禁止した。しかし商業の発達に伴い、貨幣需要が激増した鎌倉・室町時代にも政府は銭貨官鋳を行わなかった。室町時代には宋銭とともに元(げん)・明(みん)銭や私鋳銭が流通し、貨幣授受の際に良銭を選び取る撰銭(えりせん)が流行したが、宋銭は良銭として取り扱われた。
[百瀬今朝雄]
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宋代に官鋳された中国の貨幣。銅銭・鉄銭の両種があるが,中心は銅銭。1枚1文の小平銭のほか,折二・当三・当五・当十など2~10文の大銭も造られた。とくに前半の北宋のものは歴代王朝の銭貨のなかで最も鋳造量が多く,最盛期には年間500万貫をこえた。1127年に領土の北半を失った後の南宋では激減し,年間10万貫程度になった。宋銭は宋代ばかりでなく,つづく元・明のもとでも依然として重要な銭貨であり,日本にも平安中期から戦国期までの長期間,貿易によって大量に流入した。国内では中世を通じて流通貨幣の過半を占め,精銭(せいせん)の代表格であった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…中国の宋(960‐1279),元(1260‐1368)の両朝で鋳造された銅銭。とくに宋銭は日本で中世に流通した銭貨の主体であった。 10世紀中期で皇朝十二銭の鋳造が中止され准布,准絹,准米が通貨の用をなしたが,12世紀中期から宋銭を主とする中国銭の輸入がはじまり,13世紀には著増した。…
※「宋銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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