平松城跡(読み)ひらまつじようあと

日本歴史地名大系 「平松城跡」の解説

平松城跡
ひらまつじようあと

[現在地名]吉舎町三玉

西に尾道三次みよしを結ぶ石見路(赤名越)を見下ろす地に位置し、東・北・南の三方は山塊が重なり、西麓の馬洗ばせん川が天然の濠をなす。比高約一九〇メートル。一四世紀に築城された山城で、築城期の文献にその名のみえる、備後北部でも数少ない城の一つ。

鎌倉中期、武蔵国から三谿みたに郡へ下向した広沢(和知)氏は、初め和知わち(現三次市)に居を構えたが、南北朝期の資実のとき「尊氏将軍御代、依度々之忠節、惣領跡備州三谷西条、配分一族等畢」(「閥閲録」所収和智次郎兵衛家文書)とあり、このとき平松城を築城してここへ移ったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android