日本歴史地名大系 「平江町」の解説 平江町ひらえまち 宮崎県:都城市都城本邑平江町[現在地名]都城市平江町・前田町(まえだちよう)唐人(とうじん)町の北にある。中世伊東氏が三俣(みまた)院一千町を支配していた時、その領域の中心として高木平江原(たかぎひらえばる)に町が設定されたのが平江町の始まりとされる。その後都城領主館造営に伴い高木村から宮丸(みやまる)村内に移され、本(もと)町・唐人町の中心街から少し離れた北方に建設された。町並はほぼ南北に延び、北の平江町入口から唐人町出口までは二四六間。入口には土橋が架けられていた。町は三日(みつか)町・八日(ようか)町に分れていた(庄内地理志)。元禄国絵図には宮丸村之内として平江町がみえる。寛永一四年(一六三七)の惣高目録(都城島津家文書)では町高一三石余、屋敷五一ヵ所。町役は町中取の下に三日町別当・小別当、八日町別当・小別当が置かれ(稿本都城市史)、その他三日町・八日町合せて横目二・定月行司二・用聞七・平橋見廻二が任命され、町奉行の支配を受けていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by