都城本邑
みやこのじようほんゆう
大淀川東岸、都城領主館とその周囲に形成された市街地。庄内七ヵ郷の一つである都城郷の中心地である。江戸時代に館前の四町を総称した名称は同時代史料に見当らないが、「庄内地理志」では「本邑」と一括して記されている。なお元禄国絵図には宮丸村之内として都之城村が記されている。
元和元年(一六一五)江戸幕府の一国一城令が発布されると、同年八月北郷氏は大淀川西岸の城山(都城)を下り、新館が対岸下長飯村と宮丸村との境の台地に建設された。嶋下総清水入道酒三が割小路(街路の策定)を行い、上田主兵衛重稙が普請奉行として大門の造営などにあたった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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