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唐人町 とうじんまち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

唐人町
とうじんまち

江戸時代,日本に住みついた中国人の集団居住地。明末~清初 (16~17世紀初め) の中国の商人難民が多く日本に来航し,筑前博多,肥前平戸,唐津,肥後熊本,豊後府内,日向都城,相模小田原などに居住した。特に長崎には多く,鎖国後唐人の居住はここに限られ,雑居がたてまえであったが,元禄1 (1688) 年唐人屋敷が設けられ,ここに収容された。また肥前唐津のように朝鮮人居住地を唐人と称した例もある。

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デジタル大辞泉の解説

とうじん‐まち〔タウジン‐〕【唐人町】

江戸時代、中国人が集団居住していた町。長崎・博多などが有名。

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大辞林 第三版の解説

とうじんまち【唐人町】

江戸時代に来日した中国人が集団で居住した町。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

唐人町
とうじんまち

中世から近世にかけての中国人・朝鮮人の集住地。唐には蕃坊や新羅坊という外国人居留地があったが、日本でも平安後期の博多に、中国系海商が住む唐坊があった。筑前の宗像(むなかた)や薩摩の加世田(かせだ)など九州沿岸に残る唐房・当房(とうぼう)の地名も、中国人の居留に由来するという説もある。後期倭寇を経て明の海禁が緩む戦国時代以降、中国人の来航・移住が盛んになると、薩摩の久志(くし)、大隈の串良(くしら)や根占(ねじめ)、肥前口之津(くちのつ)、肥後伊倉(いくら)などの港町に唐人町が成立した。豊後府内、臼杵、熊本、都城、大隈の高山(こうやま)など、城下町や陣屋町に中国系商人を集めて唐人町を立てた場合もある。また、佐賀や肥後人吉などのように文禄・慶長の役で捕虜となった朝鮮人の居住地を、唐人町と呼ぶ例もあった。これらの唐人町には日本人も混住し、両者の交流も制限がなかった。なお、鹿児島、平戸、長崎など、唐人町がなく、外国人は市中に散居している海港都市もあった。江戸幕府が外国商船の入港を長崎1港に限定したことや、子孫の日本人化が進んでいったことで、各地の唐人町はしだいに実体を失っていった。[藤田明良]
『福岡ユネスコ協会編『九州文化論集2』(1973・平凡社) ▽大庭康時・佐伯弘次・菅波正人・田上勇一郎編『中世都市・博多を掘る』(2008・海鳥社)』

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