コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

唐人町 とうじんまち

4件 の用語解説(唐人町の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

唐人町
とうじんまち

江戸時代,日本に住みついた中国人の集団居住地。明末~清初 (16~17世紀初め) の中国の商人や難民が多く日本に来航し,筑前博多,肥前平戸,唐津,肥後熊本,豊後府内,日向都城,相模小田原などに居住した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

とうじん‐まち〔タウジン‐〕【唐人町】

江戸時代、中国人が集団居住していた町。長崎・博多などが有名。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

とうじんまち【唐人町】

江戸時代に来日した中国人が集団で居住した町。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

唐人町
とうじんまち

中世から近世にかけての中国人・朝鮮人の集住地。唐には蕃坊や新羅坊という外国人居留地があったが、日本でも平安後期の博多に、中国系海商が住む唐坊があった。筑前の宗像(むなかた)や薩摩の加世田(かせだ)など九州沿岸に残る唐房・当房(とうぼう)の地名も、中国人の居留に由来するという説もある。後期倭寇を経て明の海禁が緩む戦国時代以降、中国人の来航・移住が盛んになると、薩摩の久志(くし)、大隈の串良(くしら)や根占(ねじめ)、肥前口之津(くちのつ)、肥後伊倉(いくら)などの港町に唐人町が成立した。豊後府内、臼杵、熊本、都城、大隈の高山(こうやま)など、城下町や陣屋町に中国系商人を集めて唐人町を立てた場合もある。また、佐賀や肥後人吉などのように文禄・慶長の役で捕虜となった朝鮮人の居住地を、唐人町と呼ぶ例もあった。これらの唐人町には日本人も混住し、両者の交流も制限がなかった。なお、鹿児島、平戸、長崎など、唐人町がなく、外国人は市中に散居している海港都市もあった。江戸幕府が外国商船の入港を長崎1港に限定したことや、子孫の日本人化が進んでいったことで、各地の唐人町はしだいに実体を失っていった。[藤田明良]
『福岡ユネスコ協会編『九州文化論集2』(1973・平凡社) ▽大庭康時・佐伯弘次・菅波正人・田上勇一郎編『中世都市・博多を掘る』(2008・海鳥社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

唐人町の関連キーワードガンダルバ日本町抜け荷住み満つ第三国人土匪集団栄養定住害虫唐通事と蘭通詞栗本光屋

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

唐人町の関連情報