日本歴史地名大系 「平田別符」の解説 平田別符ひらたべつぷ 大分県:宇佐市平田別符駅館(やつかん)川西岸の平野部、現下高(しもたか)の小字別府(びゆう)を遺称地とする。宇佐宮八ヵ社の一つである乙(おとめ)社(現上乙女)の北・西側を含む(嘉元元年「乙社社頭絵図写」小山田家蔵)、現吉松(よしまつ)・城井(じようい)・森山(もりやま)・荒木(あらき)・尾永井(おながい)・上乙女(かみおとめ)・下乙女・下高の広範囲にわたる地域に所在していたと推定される。平安末期に築かれた平田井堰の灌漑によって開発されたものと考えられる。平田井堰築造に関する伝承によれば、宇佐大宮司宇佐公通は領民を干害から救うため駅館川に井堰を築造することを計画、その成功を祈り一週間断食して鷹栖(たかす)に籠って祈請、満願の暁に夢告があった。お告げの通り川上から白木の筥が流れ、そのとどまる所に井堰を築き、その筥の蓋をとると白蛇一二頭が出て、その行く所に渠をうがった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by