田原紹忍(読み)たはらじょうにん

改訂新版 世界大百科事典 「田原紹忍」の意味・わかりやすい解説

田原紹忍 (たはらじょうにん)
生没年:?-1600(慶長5)

戦国末期大友氏の重臣,反キリシタン派の巨頭。実名親賢。入道して紹忍。官途は民部大輔,尾張守,近江守。宇佐神宮末社の奈多八幡宮大宮司家の出身。田原氏の庶家田原親資の養嗣子で,姉妹の一人は大友義鎮に嫁し大友義統を生んだ。1557年(弘治3)大友氏豊前遠征軍の指揮官の一人となり,そのまま妙見岳城督として豊前宇佐・下毛両郡の軍事・行政責任者になる。72年(元亀3)ころ城督兼務のまま年寄に就任。75年(天正3)ころ義統が大友氏の当主となると最有力家臣となったが,78年の南九州遠征で戦術上の失敗から日向の耳川で大敗,責任を問われて引退し,その後は養子親家(義統弟)の宇佐・下毛経営を補佐した。93年(文禄2)大友氏改易後,中川氏の与力となり,1600年の関ヶ原の戦の際,大友宗巌(義統)をかついで挙兵したが,黒田如水に敗れ,さらに再起をはかってならず自害
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田原紹忍」の解説

田原紹忍 たわら-しょうにん

?-1600 戦国-織豊時代の武将
豊前(ぶぜん)宇佐(大分県)妙見岳城主。大友宗麟(そうりん)・義統(よしむね)につかえ,弘治(こうじ)3年大内氏を攻めて豊前を勢力下におく。天正(てんしょう)6年日向(ひゅうが)(宮崎県)に遠征,島津軍に敗れる。のち中川秀成(ひでなり)につかえ,関ケ原の戦いでは西軍の拠点豊後(ぶんご)(大分県)臼杵(うすき)城攻めにくわわり,慶長5年戦死。名は親賢(ちかかた)。姓は「たはら」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田原紹忍の言及

【豊前国】より

…これに呼応して豊前では反大友の気運が高まり,西部の賀具氏は同族1000余人を香春岳(かわらだけ)城に集めて大友氏に抵抗した。大友氏は田原紹忍(親賢)に命じて香春岳城を攻略し,さらに門司城を攻めたが,これは失敗した。一方,大友氏は宇佐郡の土豪層への接近を策し,57年佐田氏以下宇佐郡衆を一致して大友氏に与力させることに成功した。…

※「田原紹忍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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