平田宗幸(読み)ヒラタ ムネユキ

20世紀日本人名事典 「平田宗幸」の解説

平田 宗幸
ヒラタ ムネユキ

明治・大正期の鍛金東京美術学校教授



生年
嘉永4年3月13日(1851年)

没年
大正9(1920)年2月25日

出生地
江戸・神田小柳町

別名
幼名=惣之助

経歴
代々鍛金の家柄で、父・3代平田平之助より幕府御用を務める。幕府御用打物師・平田三之進重之の弟子となり、明治6年家業を継ぐ。明治に入り武具製造がなくなったが、従来の技術に改良を加え、置物・額などの制作に活路を見い出し、鍛金を金属工芸の一分野にまで高めた。代表作に「茄子形水滴」などがある。大正7年より東京美術学校(現・東京芸術大学)教授も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平田宗幸」の解説

平田宗幸 ひらた-むねゆき

1851-1920 明治-大正時代の鍛金家。
嘉永(かえい)4年3月13日生まれ。家は代々鍛金を業とする。江戸の平田家6代三之助にまなぶ。明治28年から東京美術学校(現東京芸大)につとめ,大正7年教授となる。帝室技芸員。大正9年2月24日死去。70歳。江戸出身。幼名は惣之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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