日本歴史地名大系 「平田宿」の解説 平田宿ひらたじゆく 三重県:阿山郡大山田村平田村平田宿[現在地名]大山田村平田平田の中央部、服部(はつとり)川に沿い、北方を伊賀街道が通っている。そこに発達した宿場町で平田町(ひらたのまち)・山田(やまだ)町とも称する。慶長一三年(一六〇八)藤堂高虎が伊賀・伊勢に封ぜられた後、津城と伊賀上野城とを結ぶ主要道路として伊賀街道が重視され、伊勢国境に近い上阿波(かみあわ)村に上阿波宿が設置されていたが、当宿が馬継所になったのは承応二年(一六五三)である(宗国史)。これより先、寛永一六年(一六三九)五月に幕府老中永井尚政が当町に宿泊しており(同書)、旅宿としてはすでに相当に整っていたのであろう。上野から上阿波宿まで約五里は、藩内の他の宿場町間の距離に比して開きすぎるので、上野から約二里三町の当町に馬継場が設置されたのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by